意識と無意識


意識は新しい脳、無意識は古い脳ではないかと思います。

基礎的な肉体の機能を司っている古い脳は意識という視点から見れば「無意識」となります。
無意識は名のとおり自分が意識しないでも勝手に動いています。
24時間休みなく働いています。

心臓が休みなく動けるのは無意識が24時間監視しているからです。
このおかげでこの肉体を維持できています。
人間でいるにはなくてはならないものです。

無意識は自動機械です。
ただ決められたことを決められたとおりやっています。
そこに判断はありません。

当たり前ですけど悩みはありません。
その都度考えていたら心臓が止まってしまいます。
自動制御装置ですね。

その上に乗っかっているのが意識です。
意識は新しい脳からきています。
無意識は何も感じずにもくもくと働いているのですが、意識はいろいろと感じることができます。

感じて、考えることができます。
他の動物とも違いですね。
他の動物にも無意識はありますが、意識はあまり発達していません。

ですから動物には悩みはありません。
痛いと感じることはあっても、つらいとは思いません。
生きるためには必要な痛みは感じても、それは危険を回避するためのただの信号であってそれをつらいと感じることはありません。

人間は意識が発達したおかげで様々なことを感じることができます。
そのため多様な楽しみを体験することができます。
より豊かな生活をすることができます。

そのはずですが、その使い方を誤っているためにそれがうまく機能していません。
その根本的な原因は起ってくることにいい、悪いと判断してしまっているためです。
起きていることはただ起きているだけで本来それにはいい、悪いはありません。

相対的にそう思えることはあっても、絶対的にいい、悪いはありません。
どんなことにも絶対はありません。
何かの基準を持っていて勝手にそれを基準に判断しているだけです。

基準が違えば同じことでも変わってきますよね。
いまそう感じていても基準を変えれば、感じることも変わってきます。
ですから判断に本当の意味はないのです。

ではどうすればいいのかというと、ただ起きてくることを体験するだけでいいのです。
ああこんなことを感じた、あああんなことを体験した、これだけでいいのです。
これだけだと何の問題もありませんよね。

実際はそれをいちいち判断してしまいます。
よい、悪いと判断してしまっています。
それが悪いと判断されると問題となってしまいます。

ということは判断をやめると問題はなくなるということです。
判断をやめることで、起っているほとんどの問題をなくすることができます。
これが元でいろいろなことに発展してしまいます。

その大元をたどればここにいきつくのではないでしょうか。
といってもすぐ判断をやめようとしてもなかなかうまくいきません。
それは人間が前のものと後のものとを比較することで物事を認識するような仕組みになっているからです。

判断は人間でいる限りはなくなりません。
ではどうしたらいいのでしょう。
それは判断している自分をただみているようにすることです。

ああまたあいつが悪いなどと判断しているところをただ見ていることです。
客観的に見れることで心がニュートラルな状態でいれます。
中立でいれることで、判断の状態から抜けることができます。

中立な状態でいれれば悪いことではありませんから、そこから起因する問題は起こらないことになります。
簡単なことです。
このことで問題を起らないようにすることができます。

「判断する自分を見ている」。
常にこれだけを意識していることで、問題が起こらない状態にすることができます。
問題のない状態なので、平静でいることができます。

平静でいるられるだけで十分価値があります。
これは今すぐ誰でもできることなのでやってみてはいかがでしょうか。
書いているうちあらぬ方向に行ってしまいました。(^^;



Posted: 土 - 8月 21, 2004 at 03:58 PM      


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