この宇宙はCD-ROM?


個々の説明はよくわかります。
この世界はあまりにも巧妙にできたゲーム?

(中略)
ところで、わたしが「神さまとの直通電話」をもっていると思っているひとがたくさんいるんですが、彼らは、地球が滅亡する運命なのか、知りたがっています。
前にもうかがいましたが、もっと直接的な答えがいただきたいんです。
おおぜいのひとが予言しているように、地球に変化が起こるのでしょうか?
そうでないとしたら、超能力者が言うには、つくりもののビィジョンですか?
わたしたちは、祈るべきなんですか?
変えるべきなんですか?
わたしたちにできることがあるんでしょうか?
それとも、悲しいことに絶望するしかないんでしょうか?

その問題なら、喜んで話してあげるよ。
ただし「先へ進む」わけではないね。
時間についてのこれまでの説明のなかで、答えはすでに与えられているからね。

「将来起ることはすべて、すでに起っている」という、あの説明ですか?

そうだよ。

でも、「すでに起っている」すべてというのは、何なのですか?
どんなふうに起ったのですか?
何が起ったのですか?

すべてだよ。
すべては、すでに起っている。
あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。

どうしてそんなことが可能なのか、まだわからないのですが。

わかりやすく話してあげよう。
子供たちがCD-ROMでゲームをやっているのを見たことがあるだろう?
そのとき、子供たちのジョイスティックの動きひとつひとつにどう応じればいいのか、どうしてコンピュータにわかるんだろうと思ったことはないか?

ありますね。
不思議だと思いました。

すべてCD-ROMにある。
コンピュータがあらゆる子供たちの動きにどう応じればいいのかを知っているのは、可能性のあるすべての動きと適切な対応のすべて、CD-ROMに記憶されているからだ。

いやあ、奇妙ですね。
シュールだなあ。

すべての結末。
結末にいたるすべての紆余曲折が、すでにCD-ROMにプログラムされていることがシュールかな?
ちっとも「奇妙」なことはないよ。
それが技術じゃないか。
で、ゲームの技術に感心するなら、宇宙の技術を考えてごらん?

宇宙の車輪をCD-ROMだと想像してみればいい。
すべてのエンディングはすでに存在している。
宇宙はただ、あなたがたが今度はどの動きを選択するのか待っている。
あなたが勝つか、負けるか、引き分けてゲームが終了したら、宇宙はいうだろう。
「もう一度やりたいかい?」

CD-ROMはあなたが勝とうが負けようが気にしないし、「感情を害した」りもしない。
ただ、もう一度ゲームをするチャンスをくれるだけだ。
すべてのエンディングはすでに存在する。
あなたがどのエンディングを経験するかは、何を選択するかによって決まるのだよ。

すると、神さまはただのCD-ROMみたいなものですか?

わたしは、そうは言わないな。
だが、この対話では、誰にでも理解できる概念で説明しようとしている。
だからCD-ROMのたとえを使ったのだよ。
生命は、多くの点でCD-ROMのようなものだ。
すべての可能性が存在し、すでに起っている。
どれを経験するかは、あなたの選択しだいだ。

地球の変化についても、まったく同じことだよ。
多くの超能力者が語る地球の変化は真実だ。
彼らは「未来」の窓を開いて見たのだ。
問題は彼らが見たのはどの「未来」かということだな。
CD-ROMのゲームの結末と同じで、いくつものヴァージョンがあるのだから。

あるヴァージョンでは、地球には大天変地異が起る。
あるヴァージョンでは起らない。
じつは、すべてのヴァージョンはすでに起っている。
思い出してごらん。
時はー。

知っています。
知っていますよ。
「時というものは存在しない」ー。

そのとおり。
すると、どうなる。

だから、すべてのことはいっぺんに起っている。

そうそう、そのとおり。
かつて起ったことはすべて、いま起っているし、将来起ることはすべて、いま起っている。
だから、超能力者が予言する滅亡は真実なのかと考えるのなら、関心をすべてそこに集中してごらん。
そうすれば、その滅亡を自分意引き寄せる。
べつの現実を経験したいと思うなら、そちらのほうへ関心を集中すれば、その結果が引き寄せられるだろう。

すると、地球に変化が起こるのかどうかは教えてくれないんですね?

あなたがどうするのか、こっちが聞いているのだよ。
あなたが、思考で、言葉で、行動で決定するんじゃないか。

Posted: 日 - 11月 14, 2004 at 10:47 AM      


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