死ねばすべてわかる


ということは、今あくせくしてわかろうとしなくてもいいということです。
今はこの目の前の現実を楽しめばいいことになります。

そう、「偉大」な真実は存在する。
究極の現実はある。
だが、その現実とはかかわりなく、いつもあなたがたの選択どおりになる。
なぜなら、究極の現実とは、あなたがたが神聖な被造物で、自分が経験を創り出してそれを経験しているということだから。

(中略)
人間の身体にいるときには、全体でなく小宇宙の部分を経験している(だが、いちばん小さい部分ではないよ)。
身体から離れたときには(「霊」と呼ぶひとのいるね)量子飛躍によって視点が拡大される。
突然に、いまは理解できないことがすべて理解できる。
すべてになれる。

そのときには、大宇宙の見方で、もっと大きな大宇宙があることもわかる。
つまり、「存在するすべて」は自分が経験している現実よりさらに大きいことがわかる。
そのとき、あなたがたは畏敬と期待と驚きと興奮、喜びと恍惚感に満たされるだろう。
わたしが知って理解していることが、あなたがたにもわかるからだ。
つまり、ゲームは永遠に終わらない。

Posted: 金 - 11月 12, 2004 at 10:16 PM      


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