また時間についてです


わからなくてもいい、ということですがどうしても気になります。

どうして、身体のなかに宿っているときには、時間が存在するのですか?

現在という視点に入り込んで、その視点で見るからだ。
その視点を道具として使うと、ひとつの出来事を分解し、徹底的に探求し、検討できる。

生命はひとつの出来事であり、宇宙でたった今起っている。
すべては一度に起っている。
あらゆる場所で。
「時間」はないが、「いま」はある。
「場所」はないが「ここ」はある。
いま、そしてここ、それが存在するすべてだ。

だが、あなたがたは「ここ」と「いま」のすばらしさを細かく経験することを選んだ。
いまここで現実を創造するものとして聖なる自己を経験しようとした。
それができるのは二つ、経験の二つの分野しかない。
「時間」と「場所」だ。
このすばらしい思いつきに、あなたは文字どおり爆発的な喜びを感じた!
爆発的な喜びのなかで、あなたは自分の各部分のあいだに「場所」を創造し、ある部分からある部分に移動するのにかかる「時間」を創り出した。

こうして、あなたはひとつひとつを眺めるために、自分自身をまさしくばらばらに分解した。
幸せのあまり「バラバラ」になったと言っていい。
それ以来、あなたはばらばらになった自分を拾い集めているのだよ。

(中略)
あなたが自分をばらばらにできた、つまり不可分のものを分解できたのは、時間という仕掛けのおかげだ。
この仕掛けを使って自分を創造しつつ、もっと徹底的に見つめ、経験しようとしたのだ。
顕微鏡でモノを観察すると、それがほんとうは個体でなくて、数百万もの現象の複合体であることがわかる。
いっぺんにさまざまなことが起り、それが大きな現象として現れていることがわかる。
あなたは、魂を観察する顕微鏡として「時間」を利用しているのだ。

死ぬと視点が変わり、全体が見えるようになる。
全体が見渡せると、すべてが見えるので問題はなくななるのだが、そのうちそのなかのひとつひとつがどうなっているか詳しく見たくなる。
そのためにはすべてがいっぺんに現れないように、ひとつひとつ順番に現れるような仕組みが必要だった。
そうすればひとつひとつじっくり体験できる。

それで現在という視点ができた。
それが連続して続くので、時間として感じられるようになった。
これが時間のある理由でしょうか。

Posted: 木 - 11月 11, 2004 at 10:58 PM      


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