選択は創造


第3巻に入りました。
1回読んだはずですが、ほとんど覚えていません。
何が出てくるか楽しみです。

(中略)
わたしは荘厳なる「すべて」であり、自分を経験的に知りたい。
あなたを通し、存在するすべてを通して、わたしは自分を経験する。
自分の選択を通じて、荘厳なる自分を経験する。

選択はすべて自己の創造だ。
どの選択も自己規定だ。
どの選択も「表して(represent)」いる。
つまり、わたしを「ふたたび存在させて(re-present)」いる。
いまこうあろうと選択したわたしを存在させる。

だが、選択肢がなければ、荘厳であるという選択もできない。
わたしの一部が多少とも荘厳さに欠けていなければ、荘厳な部分を選択することはできない。
あなたの場合も同じだ。

わたしは自分自身を創造している神だ。
あなたも、同じだ。
あなたの魂がそれを求めている。
あなたの霊がそれを渇望している。

わたしがあなたの選択を止めたら、自分の選択を止めることになる。
わたしの最大の望みは自分が何者であるかを体験することだ。
しかも、それは、わたしでない場を通してしか経験できない。
そこで、わたしはわたしでないものを創造した。
自分自身を経験するためだ。
しかし、わたしは創造するもののすべてである。
したがって、わたしでないものもわたしだ。

(中略)
わかるよ。
だが、辛抱が肝心だ。
とりわけ、何かを選択したのに思うような結果が出なかったときにはね。
あなたの二番目の質問の答えもそうだ。

あなたは答えを知りたいと言う。
だが、答えを知るという選択をしていない。
選択していないのはわかるね。
なぜか。

答えを知るという経験をしていないからだ。
じつは、あなたは答えを知っている。
前から知っているのだ。
ただ、知るという選択をしていないだけだ。
答えを知らないと信じることを選択している。
だから、答えがわからない。

Posted: 月 - 11月 8, 2004 at 08:06 PM      


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