本当に戦争をなくする方法


第1巻では個人的、本質的なことについて書かれています。
第2巻は社会、性、教育、政治、経済、神学など世界的なことについて書かれています。
個人的には、第1巻の本質的なことに興味があってひとつひとつのことに引っかかってしまい、なかなか前に進めませんでした。
第2巻のほうはかなり具体的なことに言及していて、いいことは書いてありますが読むスピードはだいぶ早くなりました。
ただここのところは本質的なところなので、ちょっと長いですが引用させていただきます。

人生最大の幸福が、外部世界での経験ーつまり、外部にある物質的な世界ーによってのみ、得られるのだとしたら、あなたがたは人間として、あるいは国として、幸福になるために積み上げたものを、ひとかけらたりとも手放すまいとするだろう。
そして、「もたざる者」が自分の不幸を物質的な欠乏のせいにしていたら、彼らもまた、罠に落ちるだろう。
つねにあなあたがもっているものを欲しがり、あなたのほうはつねに分かち合うことを拒みつづけるだろう。

わたしがさっき、ほんとうに戦争をなくす方法ーすべての動乱や平和の欠如に終止符を打つ方法ーがあると言ったのは、そのことだ。
だが、これは霊的な解決だ。
最終的には、すべての地政的な問題は、個人的な問題と同様に、霊的な問題に行き着く。
生命のすべては霊的であり、人生の問題の基礎はすべて霊的なところにあるー霊的に解決される。

地球上に戦争が起こるのは、誰かがもっているものを、もっていない者が欲しがるからだ。
そのために、相手がされたくないと思っていることをすることになる。
すべての紛争は、間違った欲望から生じる。
世界中で維持しうる唯一の平和は、内的な平和だ。

それぞれのひとが内心の平和を見いだしたとしよう。内心の平和を見いだせば、あなたがたは「なしでやっていく」ことができるようになる。
つまり、あなたがたは外部の世界のものを必要としなくなる。
「必要としない」それは偉大なる自由だ。
まず、不安から自由になれる。
自分にはもてないものがあるという不安だ。
それに、特定のものがなければ幸せになれない、という不安だ。

第二に、「必要としない」と、怒りからも自由になれる。
怒りとは、不安の表現だ。
不安に思うことが何もなければ、怒ることもない。
欲しいものが得られなくても、あなたは怒らない。
なぜなら、欲しいといっても好みの問題であって、絶対に必要だというわけではないからだ。
だから、あなたは得られないかもしれないという思いにつきものの不安を感じない。
したがって、怒りもしない。

誰かがあなたの意に反したことをしても、怒りは感じない。
なぜなら、どうしても誰かに何かをさせなければならぬ、あるいはさせてはならぬという必要性を感じないから。
だから怒りも感じない。

あなたは、誰かが不親切でも怒りはしない。
なぜなら、親切にされる必要性を感じないからだ。
誰かに冷たくされも怒りはしない。
なぜなら、愛される必要性を感じないから。
誰かがあなたにひどいことをしたり、傷つけようとしたり、損害を与えようとしても、あなたは相手にべつのふるまいをさせる必要性を感じないし、自分が傷つけられはしないことを知っている。

たとえ誰かがあなたの生命をとろうとしても、あなたは怒りはしない。
なぜなら、あなたは死を恐れないから。
恐れがなくなれば、ほかのすべてがなくなり、あなたは怒らなくなる。

あなたは心のなかで直感的に、自分が創り出したものはすべて再び創り出せることを知っているしーもっと重要なことはーじつはそれがどうでもいいことも知っている。

内心の平和を見いだしたとき、ひとであれ、場所であれ、ものごとであれ、条件であれ、環境であれ、状況であれ、そうしたことの有無では心の状態も自分という存在の体験も影響を受けなくなる。

だからといって、肉体にかかわるすべてのことを拒絶するということではない。
あなたはかつてなかったほど肉体を充分に経験し、歓びを得るだろう。
だが、肉体的なことへのかかわりは、自発的なものであって、強制ではなくなる。
肉体的な感覚を経験するのは、自分がそれを選択したからであって、幸せになるのに必要だからとか、悲しみを正当化するのに必要だからではない。

この単純なー内側に平和を求めて、見いだすというー変化が万人に起れば、すべての戦争はなくなり、世界には永遠の平和がもたらされるだろう。
ほかに必要な方策はないし、またありえない。
世界平和は個人的なことがらだ!
必要なのは、環境を変化ではなく、意識を変化させることだ。

でも、飢えているときに、どうして内心の平和を見いだせますか?
渇いているときに、平穏な心でいれますか?
屋根もなくぬれそぼってふるえているとき、おだやかな気持ちでいられますか?
愛する者が理由もなく死にかけているとき、怒りを感じないでいれますか?

あなたのお話はとても詩的ですが、詩は現実的ですか?
ひと切れのパンがないためにやせおとろえて死んでいく子供を抱いていたエチオピアの母親に、何か言ってやれますか?
中米で、軍隊が村を略奪するのを阻止しようとしたために、銃弾を浴びた男には?
それに、ブルックリンでギャングに8回もレイプされた女性に、あなたの詩は何といってやるんですか?
日曜日の朝、テロリストが教会に仕掛けた爆弾で吹き飛ばされたアイルランドの家族六人には?

そう聞くのはつらいが、すべては完璧なのだ。
完璧さを見抜く努力をしなさい。
それがわたしが言っている意識の変化だ。
何も必要としないこと。
すべてを望むこと。
現れたものを選択すること。

気持ちをかみしめなさい。
泣きたいだけ泣きなさい。
笑いたいだけ笑いなさい。
自分の真実を誇りにしなさい。
だが、すべてを感じつくしたときは、おだやかに、わたしが神であることを知りなさい。
言い換えれば、最も大きな悲劇のさなかに、プロセスの栄光を見なさい。
胸を打ち抜かれて死ぬときですら、またギャングにレイプをされているときですら。

そんなことは不可能だと思うかもしれない。
だが、神の意識になかに入れば、それができる。
もちろん、そうしなけれがならないというのではない。
それは、あなたがその時どう体験したいかによる。
大きな悲劇にあったときの課題は、どうやって心をしずめ、魂の奥深く入っていくかだ。
もうコントロールできない、というとき、あなたがたは自動的にそうなる。

車が橋から墜落する事故にあったひとの話をきいたことはないか?
あるいは、銃をつきつけられたひとに話は?
溺れかけたひとの話は?
時の歩みが遅くなり、不思議な静けさに包まれて、恐怖をまったく感じなかった、というひとが多いはずだ。
「恐れるな、わたしがあなたのもとにある」というのが、悲劇に直面したひとに詩が語らねばならない言葉だ。
最も暗いときに、わたしはあなたの光となるだろう。
闇のなかで、わたしはあなたの慰めとなるだろう。
最も困難な試練のとき、
わたしはあなたの力となるだろう。

だから、信じなさい!
わたしはあなたの羊飼いだから、あなたは乏しいことはない。
わたしはあなたを緑の牧場にくつろがせ、憩いの水ぎわに導くだろう。
わたしはあなたの魂を生き返らせ、わが名のために。正しい道に導く。
たとえ、死の影の谷を歩くときも、災いを恐れるな。
わたしが、あなたのもとにあるからだ。
わたしの鞭と杖があなたを慰めるだろう。
わたしはあなたの敵の前で、宴の卓を用意する。
わたしはあなたの頭に油を注ぐ。
あなたの杯をあふれさせる。
真実に、あなたが生きているかぎりは、恵みと慈しみがともなうだろう。
そして、あなたはわたしの家にーそしてわたしの心にー永遠に住まうだろう。

Posted: 土 - 11月 6, 2004 at 04:42 PM      


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