死後のことがまた詳しく書かれています


これを読むと死後のことがほんとうによくわかります。
死ぬことはこわくなくなります。
死ねばいつでもこんなふうになれるなら、慌てることないですね。
死んだあとのことを考えて、今から準備することはないし。
そうなら逆に、今できることをやってでおこうという気になります。

宇宙には「たまたま」などということはない。
「たまたま事故で」はありえないし、「偶然」もない。

それが真実だとしたら、死者を悼む必要はないでしょうね。

死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていないよ。
彼らが自らのより高度な選択によってどこへ行ったのかわかっていれば、彼らの出発を悼んだりはすまい。
あなたがたの言う「あの世」を一瞬でも体験し、自分と神についての最も偉大な考えにふれることができれば、葬儀のときから心から微笑むことができるだろうし、心は喜びに満たされるであろう。

(中略)
泣くのはよろしい。
亡くなったひとへの愛に敬意を表することになることだから。
だが、身体を離れた喜ばしい魂を持っている偉大な現実とすばらしい経験を知っていれば、その悲しみも長くは続かないはずだ。

「あの世」はどんなところなんですか?
教えてください。

教えてあげられないこともあるがね。
教えたくないのではなく、現在のあなたの状況、理解のレベルでは、言われてものみこめないからだ。
だが、話せることもある。

現在の人生と同じように、「あの世」でも三つのいずれかをすることになる。
コントロールのきかない考えに創造をゆだねるか、選択的、意識的に経験を創造するか、「存在のすべて」の集合意識を経験するか三つだ。
この最後の経験が、「再統合」あるいは「ひとつへの回帰」だ。

最初の道に行くにしても、たいていは(地球上とちがって)そう長くは続かない。
なぜなら、経験していることが好ましくないと思った瞬間に、新しい、もっと好ましい現実を創り出すからだ。
ただ、否定的な考えをやめさえすればいいのだから。

だから、「地獄」を経験することはありえない。
自分でそれを選択すれば別だがね。
その場合だって、自分の望みがかなうのだから「幸せ」なはずだ(「みじめ」でいるのが「幸せ」だというひとは、意外に多いのだよ)。
つまり経験は、もういやだ、選択しないと思うまで続くのだ。
ほとんどの者は、経験が始まったとたん、そこから離れて新しい経験を創造するだろう。
じつは地上でも、まったく同じ方法で地獄をなくすることができるのだが。

第二の道とって、意識的に経験を創造する場合には、もちろん「まっすぐに天国へ」行くだろう。
天国を信じるものは天国を創造する。
天国を信じていなくても、望むことが実現する。
それがわかれば、欲求はますます向上するだろう。
そして、いずれは天国を信じるようになる!

第三の道をとって、集合意識の創造に身をゆだねれば、そのとき、「ひとつであるもの」と一体になり、べつのものを存在させたいと考えるまでは、あなた自身と「これまで存在したすべて」のほかは何も存在しなくなる。
これが、ニルバァーナ(涅槃)、「ひとつであるものと一体になる」経験だ。
瞑想のさいほんのつかの間、この信じられないほどの恍惚感を経験するひとは多い。

この一体感を無限という時のない時間を経験したあと、あなたはこの経験をやめる。
なぜなら、「ひとつであるもの」以外の何かが存在しなければ、「ひとつであるもの」を「ひとつ」として経験できないからだ。
これを理解したとき、あなたはふたたび分離、分裂という考えを創造する。
こうして、あなたは宇宙の車輪の上を旅し、前進し続け、回転しつづける。
いつまでも、いつまでも、永遠に。
あなたは「ひとつであるもの」に無限に回帰し、そのたびに無限の時間を経験する。
そして、宇宙の車輪のどこにいても「ひとつのもの」へ戻る道具をもっていることを知るだろう。
これを読んでいるいまでも、それができる。
明日、瞑想するときにも、それができる。
いつでも、それができる。

Posted: 土 - 11月 13, 2004 at 11:56 AM      


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