転生輪廻は気が重い?


ちょっとわかる気がします。
それにはこんな回答が。
でもほんとに神でなければここまで答えられないですよね。

(中略)
いいかね、いつかすべてのひとに、わたしたちが「ひとつ」として語る日が来るのだよ。

わたしにもそんな日が来るなら、あなたのおしゃることを正確に理解しておきたいものです。
そこで、何度も聞きましたが、もう一度、繰り返しておたずねしたい。
ニルヴァーナと言われる「ひとつのものっであるのと一体」の状態に到達したとき、つまり、「存在の源」に回帰したとき、わたしたちはそこにとどまらないのですか?
東洋の奥義や神秘的な教えと矛盾するように思えるのですが。

至高の無、あるいは、「すべてと一体になった」状態にとどまろうとすると、そこに存在することが不可能になる。
前にも説明したとおり、あることが存在するのは、そうでないことが存在するからだ。
だから、「ひとつのもの」の全的な至福に劣るものを創造しなければならない。
創造し続けなければならないのだよ。

でも、全的な至福のなかにいて、もう一度「ひとつであるもの」と合体し、「すべてであり/無である」存在になったら、どうすれば、自分が存在するってことがわかるんでしょうね?
ほかには何も経験することがないんだから・・・理解できません。
どうも、わたしの手には負えないなあ。

それが、わたしが神聖なるジレンマと呼ぶものだよ。
つねに神につきまとうジレンマと同じだ。
そのジレンマを神は神でないもの(あるいは、神でないと思っているもの)を創造することによって解決したのだ。
神は自分の一部を分けて、自分を知らないという下位の経験をさせ、この瞬間もそれを続けさせている。
そうすれば残りは、ほんとうの自分を知ることができる。
こうして、「神はあなたがたが救われるよう、そのひとり子を与えてくださった」のだよ。
この神話がどこから生まれたか、これでわかっただろう。

すると、わたしたちはすべて神であり、誰もが常に、「ひとつであるもの」から「分離」へ、そしてまた「ひとつのもの」へと、永遠に終わらない旅を続けているんでしょうか。
これが生命のサイクル、あなたが宇宙の車輪と呼ぶものですか。

まさにそのとおり。
あたっているよ。
あなたが言ったとおりだ。

だが、どうしてもゼロに、出発点に戻って、いつも最初からやり直さないといけないんですか?
これで「上がり」にする、掛け金200ドルをもらうよ、ということはできなんですか?

何にせよ、しなければいけないことはない。
神の経験を再経験するなかで、どこへ行きたいか、何をしたいかはあなたが(つねに自由意志で)選択する。
宇宙の車輪のどこでも好きな場所に移動できる。
好きなところへ「戻れる」し、べつの次元、現実、太陽系、文明を選んで移ることもできる。

神との完全な合体に到達した者のなかには、悟りを開いた「マスター」として「戻る」ことを選ぶ者だっているよ。
それに、この世を去るときに悟りを開いた「マスター」だった者が、自分自身として「戻る」こともある。
導師や「マスター」が何十年か何世紀かのあいだにくり返しこの世に現れているという報告は、あなたも耳にしているにちがいない。
そうした報告をもとに、ひとつの宗派が築かれているくらいだ。
たとえば、末日聖徒イエスキリスト教会などだね。
だから、あなたは宇宙の車輪のどこでも好きな場所に戻れるのだよ。

そうだとしても、やっぱり気が重いですね。
「休み」はないんですか。
ニルヴァーナにずっといるわけにはいかないんでしょうか?
わたしたちは永遠に「行ったり来たり」をくり返し、ハツカネズミがぐるぐると輪を回しつづけるように、永遠に、どこにも行き着かない旅を続けるんですか?

そうだ、それが偉大な真実だ。
どこにも行き着けないし、何もすることはないし、いまのあなた以外に、あるべき「存在」はない。
じつは旅などないのだよ。
あなたがなろうとしているのは、いまのあなただ。

「マスター」はそれを知っているから、あがくのをやめる。
それから、あなたがたがあがくのをやめる手伝いをしようとする。
だが、このプロセスー宇宙の車輪ーは、決して気の重い回し車ではない。
神の、そしてすべての生命の至高の荘厳さを、栄光のなかで再確認しつづけることだ。

それでも、やっぱり気が重いように感じますが。

それじゃ、あなたの気持ちを変えてあげようか。
あなたは、セックスが好きかな?

ええ、もちろん。

よほどの変わり者はべつとして、たいていのひとはそうだね。
それでは、明日から魅力を感じたり、愛したりした相手なら誰とでもセックスができる、といったら、どう思う?
そうなったら幸福だと思うかね?

それは相手の意志に反しても、ということですか?

いやいや、あなたが身体で愛したいという人間的な体験を祝いたいと思えば、相手も必ず考えるようにしてあげる。
相手もあなたに大きな魅力と愛を感じるんだよ。

わぁ!
そりぁーもちろん最高ですよ!

ただし、ひとつ条件がある。
一回ずつ終わらせなければならない。
切れめなく次々に、というわけにはいかないのだよ。
そこで、この種の肉体的な結合のエクスタシーを経験するためには、たとえ一時的にせよ、誰かと性的に結ばれていないという状態も経験しなければいけないわけだ。

ははあ、おっしゃりたいことがわかってきましたよ。

そうエクスタシーといえども、エクスタシーがないときがなければ、存在できない。
霊的なエクスタシーだって、肉体的なエクスタシーだって同じなんだよ。

生命の循環には、気が重くなるということは何もない。
喜びがあるだけだ。
さらにおおきな喜びがあるだけだよ。
「マスター」は、喜びより下の状態にいることはない。
その「マスター」の状態を、いまのあなたは望ましいと思うだろう。

そこまでは、エクスタシーを経験し終わっても、つねに喜ばしい状態でいる。
喜びのために、エクスタシーを必要としない。
エクスタシーが存在すると知っているだけで、喜びのなかにいられる。

Posted: 日 - 11月 14, 2004 at 11:49 AM      


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