「神との対話」で昨日わかったことが書かれていた気がした
ここから現実の生活がどう変わったか
昨日そこそこでいいと思えて、今が完全だと考えるようになりました。
そのことで前に読んだ「神との対話」で何か同じようなことがあったような気がして確認してました。
まさにこのことがありました。
それがこれです。
これからは何かになろうとしません。
今なっています。
今完全です。
変えなければいけないことは1ミリもありません。
あとはその完全性に基づいて行動していくだけです。
よかった。この対話を通じて、三つの基本的な知恵があった。それは
①わたしたちはすべて一体である。
②充分である。
③しなければならないことは、何もない。
「わたしたちはすべて一体である」と決めたら、お互いに対する姿勢が変わるだろう。
「充分である」と決めたら、すべてをみんなと分け合うだろう。
「しなければならないことは、何もない」と決めたら、「行為」によって問題を解決するのではなく、「問題」が消えてしまうような存在になるだろう。そうすれば、問題を起こす条件は消える。
あなたの進化論の過程では、これがいちばん大切な真実かもしれない。これを対話の締めくくりにしよう。いつもこのことを忘れず、マントラのように唱えるといい。
しなければならないことは、何もない。しなければならないことは、何もない。しなければならないことは、何もない。ただ、ありのままのわたしでいればいい。
だからと言って、あなたの人生から「行為」がなくなるわけではないよ。そうではなく、あなたが経験する行為はあなたの存在から生じるのであって、行為があなたを存在に導くのではないということだ。
あなたが最初に「幸福」であれば、幸福だから何かをすることになる。幸福になりたいから何かをするという古いパラダイムとは逆だ。
あなたが最初に「智慧」であれば、賢いから何かをする。智慧を獲得しようと何かをするのではない。
あなたが最初に「愛」であれば、愛だから何かをするのであって、愛を得たいから何かをするのではない。
あなたが「存在」しようと求めるのではなく、最初に「存在」であれば、すべては変化する。すべては逆転する。「行為」によって、「存在」に行き着くことはできない。幸福に、賢明に、愛になりたくてもーあるいはー神になりたくてもー行為によって「そこに行き着く」ことはできない。だが、「そこに行き着けば」すばらしい行為をする、それは真実だ。
ここに聖ないる二分法がある。「そこに行き着く」道は「そこにいる」ことだ。いきたい場所にいなさい!簡単なことだ。しなければいけないことは、何もない。
幸福になりたいか?では、幸福でいなさい。賢明になりたいか?では賢明でいなさい。愛が欲しいか?では愛になりなさい。いとしい者たちよ。
そんなことを言いながら、相変わらずモヤモヤしていて、これいいのかと思います。
とても完全とは思えません。
でもそれでいいのです。
目の前に現実があるということは、現実化の仕組みが完璧に働いています。
どこ欠けているということはいですね。
それが今完全だという証拠です。
今完全でいれているので、そのとおり完全だと思えていれば、いずれ完全と感じられることが起きてきます。
それで確認できます。
わかりやすいです。
ともかく意識し続けることです。
それで変わってきます。
「神との対話」で書かれているように、自分から変わろうとしないことです。
(20240511)「神との対話」で昨日わかったことが書かれていた気がした