自分の内側が変わることで生きやすくなる
本当の自分になる旅が始まる
いい悪いを判断しないで受け入れていきます。
まずはそれを意識していきます。
外側ではなく自分の内側を変えていくことで、生きやすくなるのです。
今のままでいいのです。
何か特別な修行をしなければいけないということもありません。
ただ自分の内側を変えていくだけです。
そうして内側が変われば、外側は自然に変わっていきます。
よくしようと、先に外側を変えようとしないことです。
もちろん現実的にやる必要がありますが、基本は内側が先です。
こうして目の前の現実の生活をよくしていくのです。
それが大事なことです。
目覚めようと何か特別なことをしなくてはいけないということもありません。
現実の生活がよくなることです。
まずはそれをやるべきです。
昨日読んだこの本でもこんな事が書かれていました。
『天人に還る: 人は、生きとし生けるものと調和して生きていけるようになります。「大調和」が目前です。』岡田 多母著
そこへやってきたのがぬか床メールでした。彼女と私はひたすらぬか床について語り、味噌と梅干しに向き合い、日本古来の食に取り組みました。理屈ではなく、日々の労働で。そうして彼女は立ち直ったのです。……なるほど、宇宙真理を見せられたような思い、これがまっとうな道だなと思ったのです。
想論をぶち上げて大論陣を張るよりも、こうした実際的な活動が大事なのではないか。理屈に理屈を重ね、壮大な構想をぶち上げるよりも、具体的な現実と向き合うこと。そのなかで、一歩でも半歩でも、具体的な成果(実績)を上げること。こっちのほうが宇宙的にも人間たちにとっても、実際に役立つのではないだろうか。なぜならシンプルで、わかりやすく、違いが目に見えるからです。それが大事なことだと改めて分かったのです。
換言すると、ちゃんとした生き方をすること。ちゃんとごはんを食べて、ちゃんとした暮らしをする。これを日々淡々と繰り返していくことです。そうした生活を続けていくとある日、問題点が消えていることに気が付きます。きれいになった身体、シャンとしたきれいな心。それが本当の自分──という、もっともシンプルな方法です。本卦帰りというか、原点に戻ったのです。
この本は素晴らしい内容で、他にももっといい事が書かれているのですが、今回ピンときたのこの部分です。
他に書かれているスピリチャル的なことが素晴らしいだけに、この部分を強く思いました。
私もスピリチャルの理屈は必要だと思っていますが、まずは目の前の生活を意識していきます。
そんなことを思っていると、こんな事がありました。
今日は地区の祭りの日で、ちょうさが近所に来ていて太鼓の音がします。
この部落は子供ちょうさがあって、それが家の前に来るとお花を渡していました。
それがもう子供がいないのか、ここ数年回って来ていませんでした。
最近別の部落のちょうさが回って来て、お花を要求して玄関のチャイムが鳴ったりしています。
別の部落なので出ないようになりを潜めていて、毎年いい気持ちがしていませんでした。
今日もまたと思って、大人しくしていました。
そんな時これもいい悪いを判断してはいけないだと気がつき、そう思うようにしました。
そしたらひょっとするとこの部落の子供ちょうさが出せなくなったので、今来ている他の部落のちょうさに回ってもらうように頼まれて来ているのかもしれないと思いました。
それなら毛嫌いすることではなく、逆にありがたいことだと思いました。
そう思えると感謝の気持ちも起きて来ました。
実際にはお花を渡すことはしませんでしたが、気持ちが楽になりました。
この祭りのちょうさのことは毎年いい気持ちがしなく、太鼓の音がすると憂鬱な気持ちになっていました。
それがいい悪いの判断を辞めたことでなくなりました。
それ以上の感謝の気持ちも起きてきました。
こんなふうに内側を変えることで、ここまで気持ちが変わるものだと実感しました。
こういうことなのです。
外側ではなく自分の内側を変えることで、生きやすくなるのです。
今日は言っていることと、やっている事が一致しました。
いつも口先ばかりになりがちでしたが、やっと現実が伴ってきました。
これからこういうふうに自分の内側を変えていくことをやっていきます。
(20241029)自分の内側が変わることで生きやすくなる