思考の雲の間から、魂の光が差し込んできた
さあこれからが人生の本番だ
昨日は寝付きはよかったのですが、夜中に目が覚めて眠れず、音楽を聴いて何とか寝れました。
けっこう眠れたせいか、朝方早めに目が覚めました。
起きるまで時間があったので、布団の中でいろいろ考えていました。
昨日家でちょっとしたことがあって、かなりの怒りの感情が湧き上がってきました。
その時これは魂である本当の自分ではなく、ただの思考からきているものだと自分を納得させようとしました。
これは思考で思考をコントロールしていることなので、なかなかその怒りの感情が収まりませんでした。
完全に覚醒するまでは、思考を第3者の目で見るというのは、なかなかやれるものではないと思いました。
それでも理屈は分かってきたので、ここは踏ん張りました。
そうしていたら何とか怒りが収まってきました。
理屈だけでは、頭の中で考えているようにはやれません。
でも暗闇で迷っている時に、その灯台の灯りを頼りにどこに行ったらいいのか分かります。
ですから本当に覚醒するまでは、理屈も知っておく必要があります。
そんな理屈で知っているのと、動画で見ているような本当に覚醒しているのとでは全然違います。
本当に覚醒するまでは、こういう状態が続くことを覚悟しておかなければいけません。
でも気持ちは決まっているので、頑張れます。
それで今朝ふと思ったのは、今私の中では思考の雲に覆われています。
かなりうす薄暗いです。
その上昨日のように時には嵐も吹き荒れます。
それでも近頃気持ちいいことを意識してやっています。
これで意識が今にいるようになります。
意識が今にいれている時は、思考から抜け出れています。
その時は思考の世界の住人ではないのです。
それが一日の間で、ちょこちょこやれるようになりました。
それは思考の雲の合間から、魂の光が差し込んでくる感じです。
あー、これこれ。
こんな感じでいいんです。
これでやり方は合っています。
今はたまに思考の雲の合間からだけですが、そのうちその雲が途切れて、かなり晴れ間が見えてくると思います。
その雲がなくなって快晴になったら、完全に覚醒したということです。
この生でそこまでやれるかどうかはわかりません。
でもこの調子でやっていれば、少しずつ晴れ間が広がってくるでしょう。
そんな様子を見るのも楽しいものです。
それは覚醒した先のことではなく、今からあります。
これから毎日ちょっとずつかもしれませんが、楽しみはあります。
それはずっと、人生最後まで楽しめます。
この生でどこまでやれるか、それを見ていきます。
(20250110)思考の雲の間から、魂の光が差し込んできた