元々この世界には私はいない

新しいスタンダードを生きる

Amazon Kindle Unlimitedでまた面白い本に出会いました。

この前YouTubeで見かけたゆいかさんの本です。

これで覚醒をまた別の視点から見れてすごく興味深いです。

『なんか楽しいノンデュアリティ』ゆいか著

そのため、まるである瞬間を境に、「悟った人」になったり、「私」が消えてなくなってしまうように聞こえたりしますが、これは「私」が消えたり、「悟った私」になるということではなく、「私という存在がそもそもいなかった」ことへの気づき、「私」という錯覚から目を覚ますことなのです。  

アニメのキャラクターにはそれぞれに名前があり、見た目も性格も違います。陽気で活発なキャラクターもいれば、おとなしかったり、少しおっちょこちょいだったり、秀才だったりといろんな性格のキャラクターがいます。  でもそのキャラクター自身が意志を持って自由に動いているわけではありませんよね。それを動かしているのはアニメの制作者です。  私たちも同じように、それぞれの身体の中に実体のある固定された「私」が存在しているわけではないのです。

これは少し変な質問ですが、意識をするまで身体の感覚や身体の存在はなかったのではないでしょうか。  私たちは身体を動かしているどころか、しょっちゅう身体の存在を忘れ、放置していたりします。熟睡している時は、もうほぼほったらかしですよね(笑)。  ということは、「私」がこの身体をコントロールしているわけではなさそうです。

「私とはこの身体である」というのは生きていくなかで当たり前に信じてきた考え方、一つの概念であって、実際に私たちが感じていたり、体験していることには、身体が存在していないことも多いのではないでしょうか。  

なぜならどんなに探しても、実体のある「私」という固定された存在がいるわけではないからです。

そこには、どこまでも境界のない広がり、静けさなど、言葉で表現のできない、何もなさがあるかもしれません。

「私とはこの身体である」といった考えとは違い、実際の体験には、「私」は存在せず、身体という枠を超えた、境界のない広がりがあるのではないでしょうか。  

個の「私」がいるのではなく、この名前のつけられない存在、存在とも言えないような何か、それが私たちの本質なのです。

思考が消えて覚醒するのでもなく、思考が悟った人になるのでもありません。

思考はあっても、それが私ではないと分かることで、元々私などいなかったと気付くことです。

ゆいかさんの言われている「私はいない」の意味がやっと分かった気がします。

覚醒とは思考が消えたり、思考が進化して覚醒状態になるのではなかったのです。

今ここに覚醒状態があって、それに思考が気付くだけです。

思考自体が大きく変わるわけではありません。

ですから覚醒してもあまり変化はないのかもしれません。

ただ思考は自分ではないと思えています。

体も自分ではありません。

今まで考えていた覚醒の概念を変える必要があります。

これは今までスピリチャルをやってきて大きな変化です。

この辺りが本物とそうでないものの分岐点だと思います。

ですから覚醒はしようとしてなるものではありません。

思考や体が自分ではないと気付き、もっと言えば元々「私」などいなかった気付くことです。

思考がどうのこうのではありません。

この世界には思考と体があって、本当の自分である意識は別の次元にいます。

この世界に「私」というものは元々存在していないのです。

その構図が理解できることです。

この理解から全てのことが始まります。

ここから考えてやっていくのです。

それが新しい生き方です。

ここでは覚醒は当たり前にあるのですら、わざわざ覚醒しようとしません。

ただこの構図をもとに本当の自分がやりたいことをやっていくだけです。

それはもちろん思考のやりたいことではありません。

本当の自分である意識が、思考を使ってやりたいことをやっていくのです。

そのために思考と体はあります。

そうするのが本体のやり方です。

(20250730)元々この世界には私はいない

https://humanspace.exblog.jp/34623524