阿弥陀如来が見ている
もっと外の大海原へ出ていく
ハイヤーセルフさんがいつも私を助けてくれていることは、ほぼ間違いないと思っています。
ほぼというのは、まだお姿を見たことがないからです。
まあ生きているうちは見るということは出来ないので、しょうがありません。
前からハイヤーセルフのことはスピリチャルで出てくるので、当たり前には考えてましたが、正直本当にそうかなあと思うところはありました。
それがこの前の本を読んでから、霊界のことを具体的に知ったことで、ハイヤーセルフのことも信じられるようになりました。
それで今までちょっと呼びつけのようになってしまっていて、失礼にあたるので、これからはハイヤーセルフさんと呼ばせてもらうことにします。
今までずっとふと閃いて、助かったと思うことが度々ありました。
これもハイヤーセルフさんではないかと思います。
分かりませんが、こんな日々のちょっとしたことだけでなく、人生の分岐点のような大きなこともやってくれたのではないかと思います。
自分ひとりではとてもこの物質世界の荒波を乗り越えていくのは厳しいです。
まだまだ足りませんが、感謝しなければと思います。
これからもよろしくお願いします。
それとハイヤーセルフさんとは別のものと思える感覚があります。
阿弥陀如来が見ている気がしています。
私が何をやっても許してくれる、あの細い慈悲深い目でじっと見ています。
それはこの物質世界の外の時間も空間も超えたところからです。
感じとしては斜め上の方から見ています。
ただそれだけです。
ハイヤーセルフさんはいろいろとやってくれていますが、阿弥陀如来は何もしなく、ただじっと見ているだけです。
ただの錯覚?自分の魂?
私の今までの知識からしても、はっきりしません。
ともかく何かしてくれる感覚は全くないです。
でも何があっても不動で、そこから安心感が生まれてくる気もします。
スピリチャルは奥深すぎます。
まあまだまだ面白みは無限にあるということです。
それを楽しみにしておきます。
何といってもここは神の国ですから。
(20250422)阿弥陀如来が見ている