思考は川の流れのようなもの

次元上昇が始まってきている

スピリチャルと量子力学の関係に興味があって、その手の本をけっこう読んでいた時期がありました。

その中にデビット・ボームの本がありました。

何冊か読みましたが、その時はいまひとつピンときませんでした。

でもこの動画は分かりやすいです。

ここには客観的物理世界というものはありません。

この世界は思考が創り出した自分独自の世界のなのです。

思考は分析し、分類し、名前を付けます。

その瞬間、本来ひとつであった全体が部分へと切り分けられます。

こうして思考の投影を世界と取り違えるのです。

ここから対立と混乱の循環が生まれます。

混乱は思考による分離という見方、思考の習慣に過ぎません。

思考は汚染された川のようなものです。

その川は絶えず流れ続けています。

記憶、経験、条件付け、恐れ、信念それらが混ざり合い、次の思考を生みます。

そしてまた次の思考へと流れていきます。

その水をすくい上げ、「これが真実だ」と呼びます。

重要なのは、思考は自らを浄化できないということです。

それは汚染の源そのものが思考だからです。

思考を止めようとしないことです。

それは川の流れを力尽くで堰き止めるようなものです。

必要なのは観察です。

思考がどのように生まれ、どのように連鎖し、どのように消えていくか。

介入せず、評価せず、操作せずただその全体の動きを見ていくのです。

この観察は「観察者」と「観察対象」が分かれている限り起こりません。

その分離そのものが、思考の産物だからです。

実際には観察するものと観察されるものは、一つの同じ運動の、異なる側面にすぎません。

あなたの心も、自分の心も、星の光も、草の揺れも、同じ流れが異なる形で展開しているだけなのです。

宇宙とは分割不可能な全体、ホリスティックユニバースです。

世界は独立した「もの」の集合体ではありません。

それは流れであり、固定された実体ではなく、絶えず展開し続ける過程です。

この全体の深層には、より深い秩序があります。

インプリケイトオーダー、内在秩序と呼ばれるものです。

そこでは部分と全体が分離していません。

一部分の中に全体の情報が内包されています。

まるでホログラムのようにです。

私たちが日常で見ている世界は、その秩序が表に展開したエクスプリケイトオーダー、外在秩序に過ぎません。

分離とは表面的な表れです。

深層では全てがひとつの運動として結ばれています。

それは理論として掴むものではなく、洞察として起こります。

思考が一瞬、自らの活動全体を見渡すとき、時間の流れの中ではなく、今ここにおいて。

沈黙の中でこそ思考は静まり、全体が秩序を表し始めます。

思考を排除する必要はありません。

ただその働きを理解すればいいのです。

川の流れの音を聞くように、風の動きを感じるように。

思考という運動の奥にある、動かぬ全体の存在を感じ取るのです。

その時気づきが自然に訪れるでしょう。

自分が世界を見ているのではありません。

世界があなたを通して、自らを見ているのです。

静寂はどこからか訪れるものではありません。

思考の波が静まる時、すでにあった秩序として現れるのです。

全体は言葉を必要としません。

それはただ在ります。

私たちは全体の一部ではなく、その全体の運動そのものなのです。

思考が静まるとき、世界は断片ではなく、ひとつの動くきとして感じられ始めます。

デビット・ボームの本に「内在秩序」と「外在秩序」という言葉がよく出てきていました。

世界は分割されたものではなく全体であるということぐらいしかその時の印象はありませんでした。

でもこの動画を見たら、もっと奥深かったです。

それはスピリチャルそのものです。

物理学からもスピリチャル的洞察に至ったということです。

特に思考については、今まさにやっていることが如実に表されていました。

思考は川の流れのようなものです。

川の流れは無理やり堰き止められません。

ただその流れを見ていればいいだけです。

(20260210)思考は川の流れのようなもの

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