今にいることは、スピ系覚醒と完全覚醒の現実的な妥協点(橋渡し)
さあこれからが人生の本番だ
だいぶん前に本やCDなどの物を断捨離しました。
紙類はほとんどスキャナーで読み込んで電子化して、その後は処分しました。
今あるものは毎日着る服や電子機器、車くらいです。
仕事のことも今はほとんど関係するものはありません。
今身軽になれています。
世俗的なもの物質的なものにほとんど縛られなくなりました。
そういうことがあってこの前ゼロポイントフィールドに繋がっているという感覚が得られたのではないかと思っています。
それでこの前見た覚醒したという人の動画で、その人はある日天井に渦が回っているのが見えて、それがずっと続いていると言っていました。
その人はそれでゼロポイントフィールドに繋がったのではないかと思いました。
その人は社会人として普通以上に頑張りすぎてバーンアウトしてしまい、実家の自分の部屋にしばらく引きこもっていたそうです。
それで今まで溜め込んでいたこの物質世界のしがらみをバッサリ無くせました。
それでゼロポイントフィールドに繋がれたのではないかと思いました。
それが程度の違いこそあれ私の場合と同じような状況ではないかと、今日ふと思いました。
今目の前に現実があるということは、ゼロポイントフィールドに誰でもみんな繋がっているのですが、その感覚を得るには、 物質世界に引きずられているような中途半端な状態ではなれないということだと思います。
それくらい吹っ切れた先にあるものなのでしょう。
今日『「今この瞬間」への旅 新訳版』レナード・ジェイコブソン著という本の続きを読んでいました。
その中でこんなことが書かれていました。
まさに今わたしがやろうとしていることです。
そこで、時間の世界と時間を超えた今という世界が互いにそっと共存する、覚醒の穏やかなバージョンをわたしは勧めます。
私の場合は、気持ちがいいことをやっていくがこれに当たると思います。
気持ちいいことをやっていれば、今にいれています。
今やっているままでいいんだと思いました。
今にいることは、スピ系覚醒と完全覚醒の現実的な妥協点(橋渡し)ではないかと思います。
それが覚醒の穏やかなバージョンです。
これをやっていきます。
(20250116)今にいることは、スピ系覚醒と完全覚醒の現実的な妥協点(橋渡し)