朝おっさんと出会うのは、自分の思考をどれだけ客観的に見れているか知るいい指標
さあこれからが人生の本番だ
朝のウォーキング時に出会うおっさんのことは、もう考えるだけでイヤになったので、歩く前は考えることはありません。
それでもまだその思考は起きてきますが、ただ見ているだけです。
そうやっていても時々はおっさんとは出会います。
今日もまたバッタリ会ってしまいました。
会うとさすがにいい気持ちはしません。
でもその起きてきた思考をただ見るようにしています。
今日はそれがだいぶんやれてきている気がしました。
全くなくなることはないでしょうが、少しずつ客観的に見れるようになっています。
だいぶんやれてきているのに、まだこうして出会うのはどうしてだろうかと思いました。
そんなことを考えながら歩いていると、ふとこれは自分の思考をどれくらい客観的に見えているか知るいい指標なると思いました。
思考を客観的に見るといっても、どれだけやれているか分かりにくいものです。
でもこのおっさんと出会う時はハッキリ現れるので分かりやすいです。
そう思えたら、おっさんと出会うがちょっと楽しみになってきました。
その時はおっさんを見るのではなく、自分の思考を見るのです。
そうして今日はこれくらいやれたと、ニヤニヤしていられそうです。
これはなかなかいい思い付きです。
これならおっさんのことも、もう考え過ぎることもありません。
そんなことを思い付いた今日は、最高の日といえます。
全然別の話ですが、昨日は錦織選手が上位シードの選手相手に検討しましたが負けてしまいました。
テニスそのものでは、そんな選手にも対抗できています。
ただ体力的に長い試合になると続かないのです。
これは年のせいもありますし、日本人特有の問題でもあります。
彼もインタビューで、試合に負けたことより、体力が続かなかったことの方が気になると言っていました。
これから試合に出続けていれば、だんだんとは戻ってくるので頑張って欲しいと思います。
ネットのニュースで、錦織選手の小さい頃のコーチがこんなことを言っていました。
「本人しかわからない、コートへの忘れ物を取りに帰って来た感じでした。」
私たち人間も、この物質世界に忘れ物を取りに来ています。
その忘れ物取り戻して、天国に帰ります。
今それをやっています。
まだまだやるべきことはあります。
(20250131)朝おっさんと出会うのは、自分の思考をどれだけ客観的に見れているか知るいい指標