家族の健康が一番

ここから現実の生活がどう変わったか

昨日今日と天気がいいのに、前の家の洗濯物が干していません。

いつもは出ているのに、ひょっとすると奥さんが何か調子が悪いのかもしれません。

もちろんわかりませんが、ちょっと気になりました。

そんなことを考えていると、自分の家族はみんな元気でいれています。

母もそれなりの持病はありますが、概ね調子は悪くありません。

この前も美容院に自分で巡回バスに乗って行っていました。

希望はいろいろありますが、やはり家族が健康なのが一番だと思いました。

誰かが病気をしていると、自分も幸せな気持ちにはなれません。

こんなことスピリチャルでも何でもありませんが、生活をしていく上ですごく大切なことだと実感しました。

自分の世界は自分で創っていて、他の人とは直接は関係ないと考えていますが、身近なもののことは気になります。

これも今の自分の波動がそれを引き寄せているのかもしれません。

それならなかなかいいところまで来れているということです。

ともかく私はこんな程度で、まさに普通です。

神は全てのことが気になるのでしょう。

私は目の前の見える現実が良くなればいいです。

また今日は気持ちのいい天気です。

何の不平があろうかと思います。

もちろんそれなりにはありますが、今日はそんな気がしました。

これ以上何が必要かと思います。

少なくとも今はそう思えました。

一時的とはいえ、素晴らしいことです。

こんな何気ないこともスピリチャルをやってきた成果だと思います。

ずっと続けてきてよかったと思います。

これからもこの調子でやっていきます。

そういえば前に読んだ「神との対話」でこんなことが書かれていました。

「実際、アダムの堕落といわれる出来事がなければ、善悪の二つの可能性も存在しなかった。「悪」はなく、誰もが、何もかもが、つねに完璧な状態で存在していた。文字とおり、パラダイス、天国だ。だが、そこがパラダイスであることもわからなかっただろうー完璧さとして経験することもできなかった。他のことは何も知らなかったからだ。 アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?」

この不完全な世界にることで、完全さを体験出るのです。

ですから今不完全に感じていることは、間違いではないのです。

完全さを体験するために、不完全さが必要なのです。

今の不完全な現実にいることが合っているのです。

何も出来が悪くて、生き地獄に落とされているのではないのです。

今の不完全さを体験してこそ、神の完全さを体験できるのです。

今日の家族が健康でいられていることが一番と思えたことも、他の不幸を感じたから、そう感じられたということです。

完全さのほんの一端を感じられたのかもしれません。

そういう体験をしていくことで、目覚めへと向かっていくのです。

またこんなことも書かれています。

「魂が想いをいだき、精神が創造し、身体が体験する。これで循環は完結する。魂は自らの体験の中で自分を知る。 あなたはわたしの身体である。」

「神との対話」で言われている循環が神が自分を知るための手段です。

そうして自分を知ることで、少しずつ神に向かっていくのです。

それは遥か先のことで、今は全くゴールが見えません。

それでも一歩でも進んでいかなければ、たどり着けません。

それには目の前の現実が必要なのです。

この現実はその循環の中の一つのピースです。

大きな意味での自分の一部です。

目の前のことは他人事ではないのです。

ちゃんと見つめていきます。

(20240428)家族の健康が一番

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