目の前の現実は、自分の内側を知るいい指標
ここから現実の生活がどう変わったか
今日は母の病院の送迎の日で、朝ちょっとバタバタして準備して待っていましたが、来ないので見にいったら日が間違っていました。
私はそれを聞いなかったので、いつならムカムカするところを、それほどしませんでした。
逆に年のことを考えると、これでもいい方だと、いいように考えられました。
ほんのちょっとしたことですが、自分では成長できていると思えました。
こういうことが大事なのです。
スピリチャルの知識があるかどうかではありません。
それは自分の中に満たされているという気持ちがあるからだと思います。
それがあるので、外側がどうなっても気にならなくなるのです。
それを実証できました。
昨日はスピリチャルの本質的な素晴らしいことが考えられました。
この物質世界のことでは究極のことかと思えるくらいです。
でもいくらその知識があっても、この物質世界の中で生かされていなければ何もなりません。
今回のことはそれが直接のことではありませんが、こんなことの積み重ねが成長につながっていきます。
スピリチャルの大きなことも考えますが、日常のちょっとしたことも意識していきます。
神は細部に宿るです。
目の前の現実が一番大事なのではありませんが、それがよくないのは、自分の内側がよくないのです。
目の前の現実は、自分の内側を知るいい指標です。
それは一時的なものなので深刻に考え過ぎることはありませんが、なおざりには出来ません。
目の前の現実が思ったようなものでないのなら、自分の内側を変えていくようにします。
その繰り返しです。
それがまさに昨日言っていた神の循環です。
思っていた現実ではないことが、よくないのではないのです。
よくないのは、それを他のもののせいにして直そうとしないことです。
目の前の現実は、全て自分の責任です。
そう考えて、いい循環にしていきます。
それが神聖な仕事です。
それをやっていることを、誇りに思うようにします。
それにしてもこれはとても素晴らしい考えです。
今までの人生を賭けてきた甲斐があります。
こういうことを知れたのは、頑張ってここまで生きてきてよかったと思えます。
後はそれをどこまでやれるかです。
簡単にはいかないかもしれません。
でももう迷わないので、どんなことがあっても頑張れます。
(20240429)目の前の現実は、自分の内側を知るいい指標