何でもいいように考えられると、不幸はなくなる
本当の自分になる旅が始まる
インターフォンのチャイムが鳴ったので出てみると、いつもの宅急便でした。
頼んだ覚えはないと思っていたら、着払いで大きな荷物が届いていました。
母がまた勝手にテレビショッピングで頼んでいました。
またかと思って一瞬カッとなって、マイナスな思いが浮かんできました。
でもそこでその気持ちを抑えることができました。
ちょっと冷静になれたので、こんなことをするのはまだ元気な証拠で、お金にもそんなに困っていないと、いいように考えてみました。
この物質的相対世界では、何事も二面性があります。
起きてくることを、いいようにも、悪いようにも取れます。
それをどう取るかは自分次第です。
起きてくることは常に中立で、何か意味があるのではありません。
起きてきたことに、意味を付けるのは自分なのです。
それをどう感じるかは、自分で決めれます。
それで、いいように考えるようにすると前から言ってきました。
実際にやってみると、これは簡単なようで、なかなか難しいことでした。
こんなことを言っている時はわかったような気になっていますが、いざ物事が起きてきると、そんなことはどこかに行って、いつもドタバタしていました。
それがここ最近、起きてきたことに割と冷静にいれて、それをどう取るか、ちゃんと考える余裕ができてきました。
それでできるだけいいように考えるようにしています。
今回の宅急便の件も、何とかいいように考えて、マイナスなことではなくなりました。
考えてみれば、このことは何でもないようで、すごいことです。
それができれば、幸せが担保されていることになります。
もう不幸は起きてこないのです。
でもそれはまだ時と場合によります。
今回の宅急便のようなちょっとしたことなら、何とかやれます。
でももっと大きなことが起きてきたら、いいように考えられる保証はありません。
まだ幸せが担保されたとは言えそうもありません。
ただ全てとまではいかなくても、日常に多々起きてくることをいいように考えられたら、感情に振り回されずにだいぶん精神的が安定してきます。
これだけでも素晴らしい進歩です。
ここ最近まずまずいい感じです。
これをどんなことでもやれるようにします。
そこそこはやれます。
これなら特別なことをしなくても、幸せは簡単に手に入ります。
気持ちも問題ですが、これが本質だと思います。
幸せはモノではないのです。
(20240825)何でもいいように考えられると、不幸はなくなる