見えなければ、無いのと同じ
本当の自分になる旅が始まる
今朝のウォーキングの時のことです。
気になるおっさんとニアミスで、そちらに気を取られ、展望台に人がいることに気が付きませんでした。
それで人がいるのに、展望台に上がってしまいました。
いつもは展望台に人がいるのが見えたら、邪魔をしないように脇道を通り抜けています。
でも今回せっかくその人がゆっくりしているのを邪魔してしまいました。
ちょっとしまったと思いました。
こんなことは大したことではありませんが、ふと思いました。
現実には人がいても、自分が見えなければ、自分の中ではいないと同じです。
自分にとって、見えていることが現実なのです。
自分が見えている現実を創っています。
見えていなければ、無いのと同じです。
自分の意識が見えるようにしています。
こうして現実を体験していきます。
この体験していくことが重要なのです。
体験することで、今あるものがどんなものかわかります。
神は自分がどうなっているか知りたいのです。
そのために現実を創り、体験するということをしています。
それで自分を知っていくのです。
そんな目の前に現実がある、それを体験しているというのは特別なことです。
こんな特別なことは、神しか出来ません。
それをいつもやっているのですから、自分が現実を創っているという神としての自覚を持つことです。
人間はこの物質世界で翻弄されるだけの弱い存在ではありません。
この物質世界を創っている神と同じ存在です。
そういう自覚を持っておくことです。
こんなことは、こうやって考えている時はそうかなあと思いますが、いざ現実の生活をしていると、どこかに行ってしまいます。
そうしてこの物質世界に飲み込まれてしまいます。
それがいつもの日常です。
そこから抜け出さなければいけません。
それはこうした高い視点からの真実に基づかないとやれません。
その崇高なことをやろうとしています。
それは常に意識していないと変われません。
私はずっと意識していきます。
自分が神としての自覚が持てるまで。
(20240902)見えなければ、無いのと同じ