必要なお金さえあればいいと心から思えた

思考の喜びから魂の喜びのフェーズへ

部屋で母が転んで幸い骨折はしなかったのですが、自宅では介護が難しいということで入院しました。

それで家の整理していたら、母も持っていた株式の書類が出てきました。

今持っていた株式は母の意識がはっきりしていうちに処分しました。

その出てきた書類を見ると、その売ったのより一桁多い株がありました。

この前売った株もそれなりにはありましたが、一桁多いとかなりの額になります。

その間の書類がなくもう母にも聞けないので、どうしてそんなに減ったのか分かりません。

今のなら額がそれほどではないので問題ありません。

もし一桁多い株があれば相続の時に兄弟で揉めそうです。

揉めなくても後でお互いの心にしこりが残るかもしれません。

その時今必要なお金さえあればいいと思いました。

余分なお金はいりません。

そう心から思えたことに、自分ででもちょっとビックリしました。

ちょっと前までは普通にお金持ちになりたいと思っていました。

お金さえあれば何でも買えます。

でも今どうしても欲しいと思うものもなく、必要なものが買えさえすればいいと思います。

これは年金があって普通に生活するのに困らないというのが前提にあります。

まともに食べれてないならとてもそんなことは思えません。

生活レベルのことをスピリチャルで超えていくのはかなり難しいと思います。

今心地よくいれたらそれでいいと思います。

そうやれていたら必要以上のお金は欲しいとは思いません。

もしあっても管理が大変でトラブルの元になるだけです。

気持ちよくいれるというのが全ての基準です。

それはお金じゃありません。

自分の内側のことです。

気持ちよくいれるということが魂の思いです。

お金など思考の思いをやっていくのではありません。

魂の喜ぶことをやっていきます。

そうすることで魂のテーマがやれるのです。

それをするためにここに生まれてきているのですから、それで本当に満足できます。

お金持ちになることではなく、これがこの生でやるべきことです。

(20260710)必要なお金さえあればいいと心から思えた

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