足を痛めた本当の理由がわかった
本当の自分になる旅が始まる
朝ウォーキングをしていて信号を急いで渡ろうとちょっと走ったら、この前痛めたふくらはぎがまだ痛かったです。
大丈夫かと思いましたが、少し歩いているうちに痛くなくなりました。
それでいつものコースを、ペースを落として何とか歩き切れました。
歩いていて、ふとこれくらいのペースでもいいのではないかと思いました。
今までちょっとオーバーペース気味でした。
限界とまではいきませんが、けっこうきつかったです。
それをしばらく続けていたので、胸とお尻に筋肉が付きました。
日常レベルとしては十分なくらいです。
もうこれ以上は必要ありません。
それならもう今の筋肉が維持できればいいのです。
ですから今までのように頑張る必要はありません。
そう思うと気が楽になりました。
朝のウォーキングは一生続けていこうと思っています。
それを維持するには今のペースではちょっと辛いなあと思っていました。
でも今日のような少し緩めのペースならずっと続けられます。
それは楽なわけではなく、それなりに胸やお尻の筋肉に負荷がかかっています。
これならせっかく付いた筋肉を落とさずにいけます。
これでやっていこうと思いました。
人間は全てのことが理解できなく、やってみないと分かりません。
今回のように限界近くまでやってみて、それが自分には必要ないものだと分かりました。
迷う時は、まず実際にやってみるのがいいのかもしれません。
今回の怪我はこのことを見直すいい機会になりました。
最初は義務的に思っていたテニスの懇親大会に出なくてよくなるためになったものだと考えていました。
それがメインではなく、この歩くペースを見直すことが本命だったのです。
こちらは一生ものです。
自分の中では相当な価値があります。
今まで言っていたように、よくなろうと思っていることが、自然と外側に現れてくることを再確認しました。
あと今日のようなキツくないペースだと、歩いた後も楽です。
日常の家事も今までは歩いた疲れが残っていて、いっぱいいっぱいでやっていました。
それが今日はちょっと余裕がありました。
他にもこんないいことがありました。
足が痛くなって不便がかかりましたが、そう考えると全くそれ以上のことを得られました。
もう自分でバタバタせずに、外側に起きてくることに委ねていればいいと思えます。
こんな体験を重ねることで、自分の意識が現実を創っていると実感できるようになるのです。
それで成長できます。
それこそが目覚めへの道です。
(20241004)足を痛めた本当の理由がわかった