外側のものに1ミリも気を使わない

本当の自分になる旅が始まる

今朝もいつも通りウォーキングに出かけました。

家を出てすぐに横断歩道があります。

そこに着くちょっと前に信号が青に変わりました。

そんな時いつもよくやるのは、左車線の車は止まっているので、横断歩道まで行かず止まっている車の前を横切って渡ります。

渡ってすぐ左に行くので後戻りするようになり、その方が結局早いのです。

あまりよろしくないのですが、完全に止まっているので現実的に問題はありません。

それが今日はもうちょっと歩けば横断歩道まで行けるので、慌てて歩いて行きました。

そしたらその横断歩道で、いつものおっさんにバッタリ会ってしまいました。

その前に見た時はいなかったはずなのにどうして、でした。

渡った後、今日は失敗したなあ、格好つけずいつものように車の前を横切ればよかったと思いました。

後悔先に立たずです。

それから少し歩いてふと思いました。

私は自分がどうしたいのかではなく、周りの目を気にしています。

自分のことより周りのことを優先していました。

自分がやりたいことがやれていなかったということです。

ここは自分のための宇宙です。

自分の好きなようにやっていけばいいのです。

でも実際にはそうやれていませんでした。

ひょっとするとそのことを気付けせてくれるために、そのおっさんが現れたのではないかと思いました。

それなら嫌な気分になるどころか、感謝しなければいけません。

考えていると、本当にそう思えました。

こんな細かいことにも現れてきていることに我ながら感心しました。

今はそんなことまで気にするような精妙なレベルになってきているのでしょうか。

今朝は自分の中では大きな気付きがありました。

自分のためにこの宇宙はあるのです。

人目を気にすることなど、1ミリもありません。

自分の好きなようにやればいいのです。

でもその時大事なことがあります。

それは自分の欲望ではなく、統一的なことをやるということです。

欲望のまま好きなようにはできません。

そんなことは言わなくても明らかです。

全体のための統一性のあることだから、周りとぶつからないのです。

それで何でもやれるのです。

ですから好きなように自由にやるには、だいぶん波動が上がらないとやれないのです。

それまでは理屈はわかっていても、折衷案でやっていくしかありません。

そこをどうしていくかが難しいところであり、面白いところでもあります。

そんなことをやりに、ここに来ているのでしょう。

それはこの物質世界でないとやれません。

天国ではそれが当たり前にやれるので、何も成長はできないのです。

ウォーキングから帰り、今日はモップ掛けの日でした。

モップ掛けはけっこう大変なので、むりむり頑張ってやり切っています。

それでいつも面倒に思っていました。

それが今日は、この家のおかげでいつも気持ちよくいれているので、そのことを感謝しながらモップ掛けをしなければと思いました。

そうしてやってみたら、意外と楽にできました。

これならモップ掛けも面倒ではなくなります。

感謝は意識してやろうと思っても、なかなか出来るものではありません。

幸せに思えていない時、いくら感謝せよと言っても、誰が出来るのでしょうか。

幸せに思えているからこそ、自然に感謝できるのです。

そう考えると少しは成長しているようです。

そして先ほどのウォーキングの件のように、精妙になれてきているのかもしれません。

このまま続けてよさそうです。

(20241223)外側のものに1ミリも気を使わない

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