「神との対話」を読んで(過去の記事)
• 今週は読書ウィーク
この自分の内側と向き合う日記を書き始めて、意識的にスピリチャルの本を読まないようにしていました。
いくらいいことが書いてあっても、身に付いていなく、実生活に全く役に立たなかったからです。
このまま続けていてもダメだと思いました。
それでできるだけ外側からくる情報をシャットアウトして、自分の内側から来るものだけにしようと思ったのです。
もちろん全く読んでいないのではなく、思いついたら少しずつは読んでいます。
ふと読もうと思う時は、それを参考にしなさいとハイヤーセルが言ってくれているのだと思って素直に読んでいます。
その自分の内側と向き合う作業がひと段落ついたと思います。
それで自分の考えも確立できました。
それに日常の生活もそれに合ったようにやれるようになりました。
自分の中でベースができました。
もう他のものから大きく影響を受けることはないと思います。
もうどんなものでもこいという感じです。
今週はスピリチャルの本を本格的に読んで、今まで自分が自分の内側と向き合って知り得たスピリチャルなことが、本当に合っているかどうか客観的に調べる作業をします。
自分ではそれなりの自信を持っていますが、もちろん独りよがりも可能性もあります。
そこを確認したと思っています。
その本は「神との対話」全3巻です。
今までも読んだことがあって、その時も素晴らしいとは思っていましたが、今はその当時から見る視点が変わっているはずです。
もう一度確認してみたいと思います。
大きな修正はないと思っていますが、もちろんまだまだ分かっていないこともたくさんあります。
それを修正したり、補足したりします。
自分でも楽しみです。
どれくらい合っているのでしょうか。
またその理解度はどれくらい上がっているのでしょうか。
ちょっとワクワクします。
(20230318)今週は読書ウィーク
https://humanspace.exblog.jp/33084291
• 結果より過程が重要
「神との対話」を少し読んでまず感じたことです。
神に戻るまでの過程を体験するために今いるということです。
これを根本的にわかっていることが重要です。
最終結果は、神に戻ることです。
これが究極の結果です。
でもそれは元に戻るだけです。
重要なのはその過程。
その過程の経験。
そのためにここにいます。
その過程を経験したいために、大元から別れてきました。
そして誰もいずれ戻っていきます。
その過程をどう体験していくかです。
ということは今が大事だということです。
今がどういう状況かは全く関係がありません。
今どんな状況でも、それが神に戻るまでの単なる過程であるということです。
どの過程が重要というのはありません。
どんな人生も同じです。
良い悪い、上下など一切ありません。
今の体験を大事にしていきます。
それを外から評価しません。
個人個人がやりたいようにやればいいのです。
思ったようでなければ、変えていけばいいだけです。
そうして思うように進んでいきます。
遥か遠くのその先で、神に戻っていきます。
(20230319)結果より過程が重要
https://humanspace.exblog.jp/33087139
• 物質世界はなぜ出来たか
これは「神との対話」に書かれていることです。
自分の考えていることを、補足してくれます。
それを繋いでくれます。
神になることを達成することでなく、その過程を体験することが目的です。
その過程の体験をするためには、現実化しなければいけません。
思っているだけでは、体験できないからです。
ということは現実化が目的ではなく、体験することが目的となります。
こんなふうにこの本に書いてあります。
こんなことは神でないとわからないのではないかと思います。
「概念として知っていることを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかないのだ。そもそも、物質的な宇宙秩序を創った理由はそこにあった。宇宙を律する相対性のシステムを創った理由も、すべての創造行為の理由もそこにある。物質的な宇宙に入れば、自らについてを知っていることを体験できる。」
そして私もどうなのか考えていた、未来は決まっているのかという質問には、明確な答えがありました。
人生でどんな体験をするのかは、前もっては選べません。
ただその経験を作り出すための人や場所、出来事は、前もって選んでいるということです。
そこで何を創るかが自分の仕事です。
それが人生ということです。
今までぼんやりとしてきたことが、はっきりと分かりました。
そういうことでした。
経験をするための条件や環境は、生まれる前に決めてきています。
ただどんな経験をするかは、今の自分が決めていています。
大まかには未来の形は決まっているといえます。
ただ具体的にどういう体験するのかは、その時でないとわかりません。
未来は決まっていないとも言えます。
これで長年の疑問がはっきりしました。
これだけで、この本を読んだ価値があります。
やはり今読むべきとハイヤーセルフが教えてくれたのでしょう。
こんな生命の本質が知りたかったのです。
それを教えてくれます。
本当にすごい本だ。
そして自分の理解後も上がっています。
前に読んだ時もすごいことを書いていると感動しましたが、本を閉じれば、またいつもどおりの物質世界の生活に戻っていました。
実際の生活は何も変わりませんでした。
それが今は、この書かれていることがそのままこの現実のことと思え、本を閉じた後も、この本に書かれていることを実際生活の中で考えられてます。
前に言ったスピリチャル脳になっています。
この物質世界からスピリチャルを見ているのではなく、この物質世界をスピリチャルの視点から見れるようになりました。
(20230319)物質世界はなぜ出来たか
https://humanspace.exblog.jp/33087161
• なぜこの世界は混乱しているのか
神は自分自身がどういうものか、わかりませんでした。
全てであるので、比較するものがなったのです。
それで自分自身を分割して、比べることで、自分がどういうものか知ろうとしたのです。
それで比べられる相対性というものを創りました。
白と黒、暑い寒い、善と悪などなどいくらでもあります。
その中で愛と不安が中心的な概念のようです。
愛を知るために、不安も創りました。
不安な状態にいれば、愛の素晴らしさがわかります。
それでこの世界には不安があるのです。
この『神との対話』にこんなふうに書かれています。
「不安が存在した瞬間、愛もまた、経験しうるものとして存在しはじめた。」
こんな格好いいこと言えますか。
この物質世界では、想念が現実化するという原理があります。
こんな世の中になっているのは、不安が現実化しているのです。
ある意味、当然の結果とも言えます。
その状態の中でいれば、愛のことがわかります。
それが目的なのに、この世界では不安ばかりが強調されてしまっています。
不安が本体の役目以上のことをやっているのです。
そこを修正していけば、この世界は良くなっていきます。
でもそれが難しいのです。
ですからいつまで経ってもこの世界が良くなりません。
それにはまずはこの仕組みがわからないといけません。
わからずにいくらやっても、堂々巡りになってうまくいきません。
この仕組みを理解して、そのとおりやっていけば必ず良くなります。
不安を経験して、愛の素晴らしさがわかれば、それ以上不安を経験する必要はなくなります。
そこからから愛を体験することです。
それもなかなか思うとおり出来ません。
それはホルモンからくる愛とは違います。
男女の愛はそれです。
ですから思うパートナーと巡り会えたら、その本当の愛を体験できる訳ではありません。
その宇宙の愛は、一度にパッとわかるものではありません。
現実は地道に波動を上げていくしかないと思います。
面白くも楽しくもありませんが、結局それが近道です。
この世界がよく見えないのは、そういうことです。
最終的には各個人が変わらないと、世界は良くなりません。
どんな偉い政治家ができても、それは出来ません。
ちなみに家の奥さんに不安を感じたことは一度もありません。
それだからここまで続いているのだと思います。
もちろん普通の家庭にあるゴタゴタは普通にあります。
これも何かの縁があるとしか考えられません。
前にも書いてありますが、普通ではないようなことで結婚できました。
生まれる前に決めてきたのだと思います。
私も宇宙の愛を少しずつ体験してきて変わろうとしています。
このまま進んできます。
今宇宙の法則のとおりやれてきています。
(20230320)なぜこの世界は混乱しているのか
https://humanspace.exblog.jp/33090363
• リミッターを外していく
みんなリミッターをかけて生きています。
力がないわけではありません。
もったいない話です。
その力をみんな持っています。
能力がないわけではありません。
その力はマスターだけが持っているのではありません。
マスターはリミッターをかけていないだけです。
持っている力はみんな同じです。
みんな神ですから、同じ力を持っているのは当然です。
いいと思っているかどうかは別にして、その証拠にみんな毎日現実があるというのは、それを創っているからです。
その力の使い方を知らないので、思ったようになっていないだけです。
だからその力をちゃんと使えば、今からでも誰でも思ったようにできます。
これからはリミッターをかけません。
心のまま自由に生きます。
これが本体の道です。
今までが本来でなかっただけです。
それが分かったのに、そのとおりやらないことは考えられません。
同じ神として普通どおりやっていきます。
ただ何でもやれる訳ではありません。
この物質世界は自分の意識だけでなく、みんなの集合意識で出来ています。
今の個人では、その集合意識を直接変えられる力はありません。
どうしても自分の意識以外のことが起きてきます。
その外側に起きてくることは、自分では変えられません。
それは受け入れるしかありません。
それも偶然に起きているのではなく、自分の成長のために起きてきています。
ただそれがどう成長に役立つのかは、残念ながら今のレベルではまだ理解できません。
ですから今はそれを受け入れていくだけです。
キリストもただ受けれてきました。
彼は自分の身に何があっても、それはただ仮の世界の出来事で、本当のことではないと分かっていたからです。
だから何があっても心が乱れなかったのです。
現実は変えられませんが、自分の中の気持ちは変えられます。
この集合意識からできている物質世界では、そういうふうにしてやっていくしかありません。
これでこの物質世界で起きていることの根本的な矛盾をだいたい説明できると思います。
この物質世界は混乱しているけれども、無秩序ではありません。
複雑に絡まり合って、その糸はとてもほどけないように思えますが、不可能ではありません。
ひとりひとりが進化していくことで、世界は必ず良くなっていきます。
「神との対話」を読んで、こういうことを直感的に理解、同意できます。
理屈ではありません。
物質的才能はありませんでしたが、その心を持っていることがひとつの才能です。
それを踏まえて現実的にうまく生きるには、どうしたらいいか。
物質的才能を持っていれば生きやすいか。
何か能力を持っている、美人、お金持ちなどです。
でもそれらだけでは苦しいと思います。
内側の力も一緒でないとうまくやれません。
自分はもっとやれるのにやれないと、逆にもっと厳しくなることも考えらえます。
一番確実なのが、自分の中のワクワクすることをやることです。
それは物質的才能とは直接関係がありません。
それが先ほどの内側の力です。
ワクワクすることをやると、頑張らなくてもやれます。
気持ちも充実します。
それに合わせて必要なお金もついてきます。
それは自分の力だけでなく、宇宙の力を利用できるからです。
宇宙のサポートを得られます。
それが自分が生まれる前にやると決めてきたことです。
それならうまくいかないはずがありません。
それをやっていきます。
私の場合は、スピリチャルをやることです。
それで気持ちも充実して一日過ごせています。
お金はまだ入ってきていませんが、生活には困っていません。
今はこれでいいと思っています。
このとおりやれていると思います。
この本でそれが確認できました。
この生ではこれをやろうとしていました。
これぞスピリチャルから見たこの物質世界のことです。
そう考えると今起きていることは何も間違っていません。
それを説明することができました。
この物質世界の仕組みがわかっているからこそ、物質世界とスピリチャルの世界をつなぐスピリチャルコーディネーターがやれます。
ただ覚醒していなくて、スピリチャルのこととこの物質世界のことの両方のことが、心情的にわかるからというだけではありません。
これらのことを直感的に理解できたということは、スピリチャルの世界とこの物質世界をつなぐ役目のスピリチャルコーディネーターとしての資質、才能を持っていたということがわかりました。
(20230320)リミッターを外していく
https://humanspace.exblog.jp/33090590
• 心がここに戻ってきた
今まで現実が全く思ったようにやれていなくて、現実逃避気味でした。
心ここに在らずといったところです。
それで現実のストレスを逃がしていたのです。
そういえば前の個人リーディングで、こんなことを言われました。
あなたはブラックボックスを持っていて、辛いことがあると、そこにポイポイ入れていた。
まさにこの現実逃避のことです。
これで今まで何とかやってきました。
今考えると、それでやり切れたので、それはそれでよかったのでしょう。
でも今は、本当の自分の人生を生きようとしています。
心がここに戻ってきました。
これからは地に足をつけて生きていきます。
それでこれからどう生きていくか考えています。
そんな時、「神との対話1」で書かれてあることを参考にしようと思います。
神の判断基準は、簡単明瞭です。
これなら迷うことはありません。
とっておくか、捨てるか、好きな方を選びなさい。
その基準は何ですか。
自分が何者だと思うか。そして、何者になりたいか。これが全ての選択の基準であるーこれまでも、これからも、全ての人生の選択の基準である。
こういうことだそうです。
私も昨日、どうしたものかと思うことがありました。
どうしてこんなことが起きるのだろうかと思います。
理由は何となくはわかるような気もするのですが、いつもモヤモヤしています。
いろいろ考えることはありますが、最終的にはここに辿り着きました。
もう途中のことは考えません。
最後にはここに来ることは間違いないからです。
そこでこの判断基準になります。
簡単明瞭で、悩まなくていいです。
さすが神様です。
面倒なことはありません。
それに従えば、間違いありません。
ともかくいつまでこんなことをやっているのだろうと思います。
もういい加減辞めてもいい頃です。
ちょっとバカらしくなってきました。
そろそろ潮時かもしれません。
もう決着を付けてもいいと思います。
そう思いません、ハイヤーセルフさん。
(20230323)心がここに戻ってきた
https://humanspace.exblog.jp/33106011
• 人間関係の本質
人間関係は私も特にうまくやれていません。
ですから「神との対話1」の内容を自分の言葉でうまく表現できません。
それでそのまま引用させてもらっています。
まずはこの相対世界の本質を知ることです。
他者があって初めて、自分があります。
この相対世界は、自分だけでは存在し得ないのです。
ほかの人間や場所、出来事のとの関係を通じてのみ、あなたは(個性のある実体して、ほかとの区別しうる何者かとして)宇宙に存在できる。ほかがなければ、あなたも無だということを覚えておきなさい。自分以外との関係があるから、あなたは存在する。それが相対性の世界というもので、それと対照的なのが絶対の世界、わたしが存在する世界だ。
そして周りの環境は、一時的なかりそめのものなのです。
それは自分に襲ってくるものではなく、自分が経験するための、道具として利用するものなのです。
そういう認識をまず持っておくことです。
現在の状況や環境は、一時的なかりそめのものだと、正しく考えられるようになる。そして、それを道具として使えるようになる。状況や環境は、現在の経験を創造していく上での、一時的なかりそめの道具にすぎないからである。
それを踏まえた上で、人間関係の基本はこうです。
これが根本的な認識です。
これが正しい目的です。
すべての関係をうれしいもの、特別なもの、自分を創りあげる経験としてとらえなさい。そして、いま、どうありたいか選びなさい。 人間関係の目的はひとつしかない。ーそれは、人生の全てに言えることだ。目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである。
それが今はこうなっています。
ここで間違ってしまっているのです。
それでうまくいかなくなっているのです。
ほとんどのひとは、相手との関係で何を与えられるだろうかと考えるのではなく、何が得られるだろうかと考えて、関係を結ぶ。 「あなたと取引をします」と言わず、「とても愛しています」と言う。それが失望の始まりだ。
これが男女関係の正しい認識です。
それが相手から何かを得ようとしてしまいます。
男と女だと特別なことが生じてしまいますが、結局はもっと本質的なことが大事なのです。
人生に特別な相手が現れて自分が満たされると感じる、というのは非常にロマンティックだ。だが、人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことでなく、「完全な自分」ーつまりほんとうの自分という存在をまるごとー分かち合う相手をもつことだ。
大事なのは、その関係のなかであなたが何者であるかだけである。 人間関係の中で自分を見失うことー人間関係が苦いものになる理由の大半がここにある。
現実的一般的には、この質問者のようになります。
本質的理想はありますが、覚醒するまではそのとおりいきません。
面白くありませんが、結局それまでは人間関係について頑張るしかないのです。
わたしは実際、相手の言葉や行動に傷つくんです。
(中略)
だが、それはそれでよろしい。それも成長の過程であり、発達進化の一部だから。人間関係というのは魂の仕事、偉大な理解、偉大な記憶だ。このことを思い出さない限りーそして、自己創造の手段として人間関係をいかに活用するかを思い出さない限り、あなたは今のレベルで努力しなければいけない。今の理解レベル、意思のレベル、記憶のレベルで。
相手との相互関係のなかで、まず問いかけなければいけないのは、自分は何ものか、何者になりたいか、ということだ。 いくつかの在り方を試してみなければ、自分が何者か思い出さず、何者になりたいかわからないことは多い。だからこそ、自分の正直な感情を大事にすることが大切なのだ。
まともな精神をもったものなら誰でも、まして神なら、人間関係で傷ついても「受け流せ、平気でいろ」などとは言わない。いま傷ついているなら、平気でいようとしても遅い。あなたの仕事は、傷ついたということが何を意味するのか考え、それを示すことだ。そうすることによって、あなたがこうありたいと思う自分を選び、その自分になるのだから。
(人間関係の)難題に挑戦するなら、困難な時もあるだろうと覚悟する必要がある。 難題や困難を避けようとしてはいけない。難題や困難を歓迎しなさい。心から歓迎しなさい。神からの偉大な贈り物だと思いなさい。
困難にぶつかったとき、パートナーを敵だの対立相手だのと考えないように努力しなさい。どんなひとも、どんなことも敵だと思わないこと、それどころか問題だとも思わないことだ。すべての問題はチャンスだととらえる力を養いなさい。チャンスというのは・・・。
・・・・わかってます、わかってます。「ほんとうの自分とは何かを決め、ほんとうの自分になる」チャンスですね。
そのとおり!だいぶんわかってきたようだ!
人間関係は、これからの最重要事項です。
そのまま参考にさせてもらおうと思っています。
そして実際にやってみて、どこまでやれるかです。
このように人間関係の中でどれだけ高い視点でいられるかです。
楽しみでもあり、その覚悟も必要です。
やってみます。
(20230326)人間関係の本質
https://humanspace.exblog.jp/33130606
• この物質世界の物や体験より、自分が上位にある
「神との対話」であるのは、神が自分がどんなものかわかろうとして、この物質世界を創ったということです。
各個人がこの物質世界を創造することで、いろいろと体験していきます。
それで神は自分を知ろうとしたということです。
ですからこの物質世界の物や体験より、自分が上位にあります。
と言っても、この物質世界の物や体験がなかったら、自分が何であるかわかりません。
どちらが上か下かはではありません。
この物質世界の物や体験も尊いものです。
そのことが分かりました。
そして実際にそう思えるようになってきました。
もちろん完全ではありません。
この感覚を少しずつ増やしていくことが、覚醒の道であることが見えてきました。
これでやっと本当の覚醒の道に踏み出した気がします。
今まで自分の内側を見つめてきて、この物質世界をどう生きたらいいか分かってきました。
主に3つのことです。
・自分の内側の美しさを現実化すること、だから毎日が自分の芸術作品。
・カモメのように自分の力で飛ばないで、風に乗って自由に大空を飛び回る。
・人間はみんなわざわざ天国から翼を落としてきた堕天使だから、この物質世界を存分に味わう。
これを日常にやっていきます。
「神との対話」を読んで、その理論を知ることができます。
一番高い視点で、その原理を解き明かしてくれます。
今私がやっていることが合っていることを教えてくれます。
だいぶん前に「神との対話」を読んで、その時も書いてあることは分かりました。
でもその時は現実は何も変わりませんでした。
今になって思うと、その時は具体的にどうやったいいかわからなかったのです。
その理論を現実に応用できませんでした。
今はまず現実にやることが分かっています。
ですからそれによって現実を変えていけます。
それに「神との対話」でその原理がわかりました。
その背景が見えてきて、これで全ての絵が完成しました。
これで鬼に金棒になったかも。
これがこの本で得るべきことでした。
それをこの本を読んだらと、ハイヤーセルフが教えてくれました。
こんなありがたいことはありません。
今「神との対話」を読み始めたばかりです。
それでもものすごく大きな示唆を得られています。
これからまだどんなことがあるでしょうか。
楽しみ以外ありません。
まだ1巻途中です。
第3巻まであります。
宇宙の真理が無限ですから、これでも全てではないのでしょうが、だいたいの原理はわかると思います。
これからどうなっていくのでしょうか。
いい意味で、自分でも予測がつきません。
920230327)この物質世界の物や体験より、自分が上位にある
https://humanspace.exblog.jp/33136167
• ここではすごろくゲームしかやっていない
神なったら上がりになるすごろくゲームです。
どうもこの世界では、そのゲームしかやっていないようです。
「神との対話1」で、こう書かれています。
つまり、そのゲームしか行われていないからだ。他には何もない。あなたにできることはほかには何もない。
ということは、スピリチャルを突き詰めていくしか、上がりの道はないのです。
この世界では、やることはこれしかないのです。
これ以外のことをやっていたのでは、上がれないのです。
結論を言うと、スピリチャルをやる以外ないということです。
それをやらなければ、この世界ではうまくいかないのです。
スピリチャルから逃げることはできないのです。
現実はそればかりをやらなければいけないということはありません。
それをやらないと上がれませんが、上がるのははるか先です。
考えると気が遠くなってしまいます。
実質、上がりのことは考えなくてもいいのです。
ただその方向は間違わないようにしなければいけません。
方向を間違うと、うまくいきません。
そこで行われているゲームのルールどおりやらないと、大変なことになってしまいます。
そのゲームのルールに則って、やっていくしかありません。
そこはちゃんとわかってやっていきます。
ただ上がりのことは考えません。
そのすごろくの道中を楽しんでいきます。
サイコロがいくつ出るか分かりません。
1が出て、なかなか進めないかもしれません。
6が出てパッと進むことがあるかもしれません。
でも行った先が、元に戻るになっているのかもしれません。
何があるかわからないのが、楽しいところです。
わかってしまえば、面白くありません。
ただ起きてくる目の前の現実を楽しんでいきます。
極論すれば、楽しみはそれしかない、と言っていいのかもしれません。
だって上がれるのは、いつのことやら分からないのですから。
それがわかれば、変に悩むこともありません。
ただ今を楽しんでいればいいのです。
それしか出来ないのですから。
わかったので、もう考え過ぎることはやりせん。
(20230401)ここではすごろくゲームしかやっていない
https://humanspace.exblog.jp/33165262
• この体を大切に使う
朝の散歩、ストレッチ、体幹トレーニング、スクワットを平日は毎日やっています。
自分の体をよくしておこうというのは意識しているつもりです。
でもこの「神との対話1」を読んで、その意識がすごく上がりました。
全く変わったと言っていいくらいです。
それは単に肉体的なことだけではありません。
それはスピリチャル的な次元まで関係しています。
身体より自家用車のほうを大事にしているくらいだ。
これには一本取られました。
まさに私のことです。
これからは自分の体のほうを大事にしていきます。
あとお酒は精神を損なうようです。
ほどほどにはいいのではないかと言われていて、現実的にはその効果も見込まれますが、基本的にはこうなのです。
私もビールが好きで状況によっては飲みますが、晩酌は一切していません。
息子よ、あなたがたの身体は永遠にもつように創られたという意味だよ。
同じことが『ライトボディの目覚め 第三版』大天使アリエル, タシラ・タチ-レン, 等著のなかで、こんなふうに書かれています。
この分離のゲームのなかで、人類のアクシオトーナル・メリディアン・システムはオーバーセルフや他の星の人々との直接的な連結から切り離されていました。これによって脳の萎縮、老化、そして死がつくりだされたのです。
以下は「神との対話1」の記述です。
あなたがたは、決して死ぬはずではなかった。あなたがたの物理的なかたちは、すばらしく便利なものとして創られた。精神によって創り出された現実を体験できる栄光ある乗り物、魂の中で創造した自己を知るために創られたすばらしい道具だった。
前の日記で、人間はこの物質世界を旅する乗り物、と書いたことがあります。
まさにこのことです。
自分の言っていることを、後押ししてくれていて嬉しいです。
またこの体は永遠にもつということです。
やり方次第だということです。
やりようによっては、まだまだやれるとわかって心強いし、やればできるので、これからもがやろうという気になります。
魂が想いをいだき、精神が創造し、身体が体験する。これで循環は完結する。魂は自らの体験の中で自分を知る。 あなたはわたしの身体である。
この体が何と神聖なことかと分かりました。
ただの肉体ではなかったのです。
この体は神が物質化したもののです。
精神がいくら高くても、体がなかったら体験できません。
体がなかったら、この循環は完結しないのです。
魂と、精神、そして体があって自分になるのです。
本当にこの体を大切にしていかなければと痛感しました。
もっと言えば、この現実があるのは、この体のおかげです。
この体がなかったら、この世界はありません。
このことがわかって体を大事にしない人がいますか?
私は死ぬまで大事にします。
いつまでもずっと使えるものですから。
(20230402)この体を大切に使う
https://humanspace.exblog.jp/33169344
• 人生がなぜあるのかという本当の意味がわかった
人間は魂、精神、身体の三つから成り立っています。
魂が、精神、身体の上位にありますが、この物質世界でいるうちは、この三つは同等です。
ここで生きている限りは全て大事だということです。
人生よって、神を思い描けるようになるまで、成長を繰り返すのです。
これがこの人生のある本質的な意味です。
重要なことだと思っていた、現実化したり、経験するというのは、この循環の中のひとつの要素にすぎなかったのです。
そうは言うものの、魂は決して身体や精神の意向を無視することはない。 自己の三つの面は完全に平等だ。それぞれに働きがあるが、どの働きもほかより大きくはないし、ほかの働きより上位にあるものはない。すべては平等だし。関連しあっている。思いをいだきー創造しー体験する。あなたは思いをいだいたことを創造し、創造したことを体験し、体験はまた思いになる。
だから、身体が何かを(たとえば、豊かさを)体験するようにしむければ、まもなく魂がそれを感じ。それが(豊かだという)新しい考えを生んで、あなたの精神が新しい考えをするようになる、と言ったのだ。新しい考えからさらに経験が生まれ、身体は新しい現実を永遠の在り方として生きるようになる。
覚醒は瞑想によって、頭の中でわかるのではないのではないかと思っていました。
覚醒はこの循環によって、神を描けるようになることです。
それで神を現実化します。
これがこの前言っていた、すごろくゲームの上がりです。
何と壮大なドラマなんだろう。
「神との対話1」を読まないと、絶対にわかりません。
だが、そのときに知っていることの限界が、あなたがたを制約する。あなたはーわたしたちはー自分を創造する存在だからだ。
自分の知らない自己になることはできない。
だから、経験によって自分を知るようになることができるようにと、この人生を与えられたのだ。そうすれば、ほんとうの自分を思い描くことができ、その自分を体験のなかで創造することができーそして、ふたたび循環ができあがる・・・・ただ、その循環は前のものよりもっと大きい。
あなたは成長するプロセスにあるーなりゆく過程にある。
あなたがなりゆくものには、制約はない。
それでは、わたしは何にでもー思い切って言うならばー神も・・・・・あなたのようにも、なれるとおっしゃるのですか?
あなたはすでに神である。ただ、それを知らないだけだ。
これを知ったからといって、今の生活がすぐに変わるということはありません。
ただ生きている意味がわかることで、気持ちの持ちようは全然違います。
あまりにも素晴らしいことです。
それにしてもやっぱり神への道は遥か彼方です。
考えると、気が遠くなります。
とてもこのすごろくゲームは、上がれそうにありません。
それで結局今を楽しむということに戻ってきました。
現実にやるべきことはこれしかできません。
それをやっていくだけです。
この現実世界は辛いこともありますが、それは宇宙の法則どおり人間がやっていないからです。
そこを修正すれば楽しめるようになります。
そうしがら、日々を楽しんでいきます。
どこまでやれるかわかりませんが、自分が納得できるまでやります。
それが目標です。
結局そんな結論になりました。
(20230403)人生がなぜあるのかという本当の意味がわかった
https://humanspace.exblog.jp/33172054
• こちらの本も凄かった
この頃波動が軽くなっている気がしています。
今は「神との対話」で手一杯なのですが、読み放題のAmazon Kindle Unlimitedの中で、「ライトボディの目覚め」という本の題に惹かれました。
読んでみると、レベルが高すぎてわからないことばかりです。
でもこれだけ細かく書かれてあるというのは、真実なのでしょう。
これだけ高いレベルのことは、さすがに今は役に立ちません。
ただこういう世界があるということは知っておいて損はありません。
でも高いレベルのことがいいことで、今の低いレベルのことがよくないことと考えるなら、それは弊害でしかありません。
そこは気をつけなければと思います。
内容はわからなさ過ぎて、ほとんど流し読みで理解できていませんが、いくつか気になったことがありました。
最近夢をよく見るようになって、その中で自分の意志がはっきりしてきました。
前は夢に押し流されるままでしたが、今は自分の思うようなことができています。
またたまに、これは夢だと意識がある時があります。
これは自分の中での明らかな変化です。
これはどういう意味があるのだろうかと思っていました。
その答えかもしれません。
ライトボディの目覚め 第三版』大天使アリエル, タシラ・タチ-レン, 等著
あなたがた(そうです、そこに座っているあなたです)の肉体が存在するのは三次元で、物質にもとづいた次元です。四次元はいわゆるアストラル界というもので、大まかにいえば感情を基本とする次元です。これら両方をまとめて、私たちは「低位クリエーション界」と呼んでいます。
私たちの用いるモデルでは、五次元から九次元は「中位クリエーション界」と呼ばれています。五次元はライトボディの次元であり、マスターとしての、また多次元的な存在としての自己に目覚めています。五次元では、完全にスピリチュアルであることが第一になります。あなたがたの多くは、この次元からライトワーカーとなるためにここにやって来ました。
いまやこの惑星の波動はアストラル界の中位レベルになり、多くの人が夢を見ているように感じはじめています。起きているのか眠っているのか、そのどちらなのかもよくわからない感じがするでしょう。
あなたは起きたあともまだ夢のなかにいるように感じることで、自分の夢の状態が変化しているのに気づくでしょう。夢を見ているときも意識がはっきりしていて、その状態のままで完全に意識があるようになるのです。違う現実を行ったり来たりするあいだ、ずっと完全に自分を認識しており、そのすべてが等しくリアルに感じられるのです。もう現実がひとつだけだなんて、とても思えなくなるでしょう。
睡眠時間がめちゃくちゃになることもあるでしょう。二時間しか寝なかった次の日には十二時間睡眠、またその逆が起きるといった状態です。疲労困憊状態で目が覚めることもあるかもしれません。あなたは広大で多次元的な存在であって、睡眠時にも忙しく働いているということを思い出してください。別の世界での自分に目覚めてくるにしたがって、肉体も実際に作業したように疲れるのです。そういうときは自分自身に対して、「どうか次元間のヴェールをしっかり保ってください」とか「今日の夜はオフにしてください」などと言いましょう。
また最近特に意識していることで、カモメのように自分の力で飛ばないで、風に乗って自由に飛んでいけばいいと思っています。
もう自分で頑張らないということです。
どうもこれで合っているようなのです。
私たちはこの惑星で、「もし私が今回の人生で~を処理できたら、自分はアセンションするか光に向かうことができる」というあなたがたの表現パターンをくり返し何度も見ています。さて、そこでニュースです。あなたが自分の何かを処理しようとしつづけるかぎり、あなたはどこにも行きません。あなたはいまや完全に、さまざまな目覚めとそのプロセスを通過している広大で多次元的なマスターなのです。処理されるべきものなど何もありません。それはただ単に開き、目覚め、思い出し、表現していくというプロセスです。
そしてそれが大天使アリエルの教えです。私たちは人々にこれをやめるよう懇願する者として知られています。あなたがたライトワーカーの多くが、とにかく思いつくかぎりの何もかもをどうにかしようと奮闘し、はまり込んでいるのをよく目にします。それはまったく不必要なうえ、そんなことにかけている時間はないのです。あなたのカルマや制限をいちいち処理していくには、この惑星はあまりに速く進化しています。カルマとは単にカルマ・ゲームの幻影にすぎず、あなたはそれらをあとにして、その先へと進んでいるのです。
何かを「処理」しようとすれば、あなたは永遠に処理しつづけることになるでしょう。なぜなら、どの人生もひとつずつ単独に処理していかなければならないからです。個々の人間の体験ごとに、そのそれぞれが人類の集合意識を保有しているのです。するとあなたはずっと過去にとどまることになります。しかし「グレース」は常に「いま」なのです。もしあなたがいつもスピリットとともに「いま」に存在しつづけ、スピリットが人間の遺伝的な意識へと導くのであれば、あなたの肉体の現実はそれを表現します。この場合は「グレース」の力を借りましょう。「グレース」はあなたが簡単にそれを手放せるようにしてくれます。それを表に出して、先に進みましょう。処理することはあなたを常に過去に閉じ込めたまま、分析と未来の予測へと向かわせます。これでは、けっして「いま」に存在することはできません。「グレース」を呼び入れてください。
人間の脳の波動がこの現実を作り出していると思っています。
ここでいう精神体です。
それがこの世界が、どういう現実か創り出しているのです。
本当の現実は、もっと広大な世界です。
その中の一部分しかないように見せられているのです。
その中で、この現実しかないと思って生きています。
そのことをわかっておかなければと思います。
そう考えると、今まで説明できなかったことがわかるようになります。
そしてそれに基づいて考え、行動していきます。
それがスピリチャルです。
それを理解しようとしています。
だいぶん視野が広がってきました。
実際はそうではないのですが、何が「現実」かを決定するのが精神体の仕事なのです。あなたの人生のなかでどのように宇宙がみずからを再構築していくのかを決定します。そのように何が現実かを決定することによって、あなたをカルマ・ゲームにはりつけにするのです。精神体が何より嫌うものは変化です。これ以上のものはありません。なぜかというと、もしあなたがいましていることを変えてしまうと、自分が未来に生き延びていないかもしれないからです。それがうまくいくかどうかには関係なく、とにかくあなたを生かしつづけると思える現実を存続させるのです。あなたが幸せか、満足がいったかなどということは、まったく気にもかけていません。存続させるためにのみ、そこに配置されたものなのです。 分離の幻影を存続させるためには、信じられないほどの量のエネルギーが必要です。ただ手放すよりもはるかにエネルギーがいるのです。それは、精神体がこんなに強くなるまで発達してきた理由のひとつです。分離の幻影を存続させるいちばん簡単な方法は、見えないものはすべて「現実ではない」と精神体に宣言させることでした。そうすることによって、みずからのスピリットからやってくる衝動をすべてふるいにかけて落としてしまうのです。
この本にはすごく気になることが書いてあるのですが、何せ高度過ぎます。
この生では必要ないと思えるものがほとんどです。
参考にはさせていただきますが、まずは今をちゃんと生きていきます。
(20230404)こちらの本も凄かった
https://humanspace.exblog.jp/33178273
• 覚醒への具体的道筋
『ライトボディの目覚め 第三版』大天使アリエル, タシラ・タチ-レン, 等著
この本を1回読んだ時は、ハイレベルでとても自分には関係ないことのように思っていました。
でも気になることがあって、もう一度読み返してみると、今でも参考になりそうなところもありました。
まあどちらにしてもとりあえず頭に入れておきます。
ここには覚醒に至る途中で遭遇するであろう現象が、いろいろ書かれています。
これからの自分に何かあった時の、処方箋になります。
ちょっと安心感を得られます。
面白かったのは、人間の細胞が光合成をし始め、光からエネルギーを得られるようになるようです。
そうすれば確かに体が段々と非物質化していくのも頷けます。
それが今使っている遺伝子は5%くらいと言われていて、残りがジャンクDNAと言われています。
でもそれには地球全生物の遺伝子が入っているということです。
それなら植物の遺伝子もあって、光合成できても不思議ではありません。
ともかくこの体は、「神との対話」でも書かれているように、とてつもないポテンシャルを持っています。
ライトボディへの変異が活性化されたとき、一連の鎖状のDNAに符号化されていたものが輝きはじめ、細胞に新たな方向性を与えました。最初に出された指示は、細胞に「光」をエネルギー源として認識させることでした。
DNAからRNAへの一方通行の情報伝達と、ATPとADPのエネルギーサイクルはともに閉鎖されたシステムで、エントロピーを維持しています。それは何も変化せず、ただ朽ち衰えるのを待つのみです。しかしライトボディの活性化によって、新たに完全な開放性システムが育ち、はてしないエネルギーと無限の情報を体のなかにもたらすことができます。あなたの肉体とスピリット間の対話が始まったのです。
この体を大事にしなければと実感させられます。
ともかく単なる肉体的なものではありません。
聖なるものです。
またこんなことも書かれています。
どこまでやれるかわかりませんが、これからもまだまだやれるということです。
ちょっと勇気をもらいました。
脳下垂体が高レベルで機能しだすと、歳もとらないし、死ぬこともありません。それでみんなよく第七レベルのあたりで、とても若々しく見えるようになるのです。顔のまわりのエネルギーがすっかり変わり、しわが消えます。
あと覚醒したら、この世界にいれなくなるのではないかという思いがありますが、その心配もなさそうです。
心置きなく覚醒に向かえばいいのです。
そうすれば、この物質世界をもっと楽しめます。
多くの人がライトボディ第七レベルで、スピリチュアルな躁鬱症のパターンにはまり込みます。あるとき「私は神聖なる多次元的存在だ!」と宣言したかと思ったら、次の瞬間には「私は何ひとつ、ちゃんとできない!」と自己の無価値を表明するのです。こういう人たちは、多次元的な一体感と、三次元にとどめられているという分離感とのあいだを、行ったり来たりしているのです。ものすごく広大な存在と、物質によって限界づけられた肉体にいる存在というパラドックスは、まさに奇跡的なものです。この二つの極端さのあいだを行き来する理由は、このパラドックスを解消しようとするからです。それは解消できません。両方の極を同時に保つようにしてください。両方が完全に存在することを受け入れるのです。ライトボディの第七レベルの終わりか、少なくとも第九レベルのどこかで人はこのプロセスがわかりはじめ、このパラドックスの中心に生きることが至福の喜びであることを見出すのです。
あなたはこれらのライトボディのプロセスを通して、二元性をそぎ落としているのです。あなたは「自分」がはるかに至福の時を過ごすようになったことに気づきます。そしてその状態のまま活動できることがわかるのです。
精神体がこの変遷を通して抱えている最大の恐怖とは、「もし私が多次元的な存在になってしまったら、この物質世界では機能できなくなる」というものです。あなたは自分が別の次元の体や、この惑星上でほかの体にいることにどんどん気づきはじめます。それはすてきなことです。その状態のままでちゃんと機能できるのです。ただ練習がちょっと必要なだけです。
またこんな感じで、自由を感じるようになるようです。
それからあなたは自分がどこへでも好きなところに行き、何でもしたいことができることに気づきはじめます。社会的・道徳的な義務感のなごりがそぎ落とされていきます。あなたがすることはどんなことも、すべてスピリットがそうするように導くからです。それ以外の理由はあなたには必要ありません。あなたは理由や正当化の必要なしに機能しはじめるのです。 するように言われたから/すべきだから/そうすると言ったから、これをする」とは言わずに、「自分がしたいからこれをする」と言うようになります。あなたは人々とまったく新たなレベルで、つまり私たちが「トランスパーソナル」と呼ぶレベルで関わりはじめます。
(20230406)覚醒への具体的道筋
https://humanspace.exblog.jp/33186181
• こういうことをやりたかったのだ
「神との対話2」ニール・ドナルド・ウォルシュ著
それぞれの瞬間をきよらかに、前もって考えたりせずに迎えれば、あなたは過去の自分を再現するのではなく、自分を創造することができる。
過去の体験を無視して、その時に入ってゆきなさい。いま、ここでとりくみなさい。新しい自分を創造するためには、いま何をしたらいいかを見つめなさい。それが、ここであなたがしていることだ。この世に、この時間に、この場所に、あなたは自分を知るために、こうありたいと思う自分を創造するためにいる。それが人生の目的だ。人生はいつまでも続く再創造(re-creation)のプロセスだ。 あなたは自分が考える最高の自分のイメージに従って、自分を創りつづけているのだよ。
本当の自分は、過去や未来ではなく、今ここにいます。
脳の思考からくる過去の体験や未来の期待ではなく、今の自分の中の思いから、今この瞬間、自分の理想のイメージの現実を創っていきます。
過去の体験から創造していたのでは、いつも同じものしかできなく、成長できないのです。
それで本当の自分を創造できます。
それが人生の目的です。
その瞬間が集まったものが人生です。
それをどこまでやるか。
神はそれをやり続けられます。
普通に。
こんなことを言えるなんて、神はカッコよすぎます。
こんな宇宙と人間の本質的なことを言いたいのです。
私は一番こういうことをやりたいのです。
このことを考えていると、私の脳がオーバーフロートして耐えられなくなり、我慢していたチョコを食べてしまいました。
そうしないと脳が保たないような気がしました。
それくらい衝撃的な内容です。
これこそが本物のスピリチャルです。
こんなことはスピリチャルでないとわかりません。
まさに自分が求めていたものです。
ついにそれに出会えました。
自分の思いが現実化するということは前からずっと言っています。
最近はしょっちゅう言っている「今日も最高の一日ありがとうございます」は、まさにこれです。
毎日あまり考えず、その日思うことをやっています。
それで毎日新鮮な気持ちでいれています。
こんな毎日を過ごしていたら、歳なんてとらないのではないかと思えるくらいです。
この世界は本当はこんなことになっているのです。
こんなにあっさりと言えますか?
これがこの世界の根本的な真実なのです。
そしてこういう内容のことの話がしたいのです。
それを「スピリチャル雑談サロン」でやれたらと思います。
そうすればより理解が深まります。
そんなことを本気で話せる仲間がいればいいと思います。
そこらにはいないでしょう。
そんな人とどこかで繋がっていけたらと思います。
(20230409)こういうことをやりたかったのだ
https://humanspace.exblog.jp/33192776
• この相対世界があるわけが腑に落ちた
「神との対話」を読んでいて、この相対世界があるわけが腑に落ちました。
今までもこのことは、ここに散々書いてきました。
それでわかっているつもりでも、わかってなかったということです。
この相対世界があるのは、神が自分自身を知りたかったので創ったということです。
対照的な善と悪など、比較するものがなければ、それがどんなものであるか理解できません。
ただ天国しかない世界にいると、それに気づけなく、そこは天国であるかどうかさえ分からないのです。
そのために神はこの相対世界を創ったのです。
そうすると、悪を知ることで、善とはどんなものか体験できるのです。
そういうことをやっていくことで、自分自身がどんなものか知ろうとしているのです。
それで今この相対世界があります。
この根本的考えが、今日腑に落ちました。
本当にわかるというのは、すぐにはいかないものです。
潜在意識が書き変わるのは、繰り返ししかないということを実感させられます。
ともかく何事も腑に落ちるまでやるしかありません。
そしたら今回のように、この文章を読んだ時、突然腑に落ちました。
『神との対話2』ニール・ドナルド・ウォルシュ著
実際、アダムの堕落といわれる出来事がなければ、善悪の二つの可能性も存在しなかった。「悪」はなく、誰もが、何もかもが、つねに完璧な状態で存在していた。文字とおり、パラダイス、天国だ。だが、そこがパラダイスであることもわからなかっただろうー完璧さとして経験することもできなかった。他のことは何も知らなかったからだ。 アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?
(20230410)この相対世界があるわけが腑に落ちた
https://humanspace.exblog.jp/33194815
• 時間について
スピリチャルでも、時間についていろいろ言われています。
本を読んでも、わかったようなわからないような、要はわかりません。
でもひとことで言えばこうなのです。
『神との対話2』ニール・ドナルド・ウォルシュ著
時間というものはない。全ては同時に存在する。すべての出来事は同時に起こる。
これを読んでも、わからないのが普通です。
はっきりしているのは、時間は絶対的なものではなく、人間の脳で作り出されたものだということです。
これ以上のことは知らないでいいと思います。
アインシュタイン博士たちは、時とは、頭脳でつくりあげた相対的な概念にすぎないことに気づいていた。「時」とは、物体と物体の間に存在する空間の関係なのだ!
時間のことがわかってしまえば、今のこの人生ゲームはできないのです。
ですから分かろうとするのではなく、どうするかです。
大事なのは、このゲームで本当の自分を知り、創造するために使うことです。
あなたはすべての生ー多くの人生ーを、ほんとうの自分を決定するために活用している。ほんとうの自分を選び、創造するために、現在考えている自己を経験し、実現するために活用している。
あなたは永遠なる自己創造のなかにいて、自己表現のプロセスを通じて、自分自身を実現している。
あなたは人生で出会う人間や出来事、環境を、道具として自分に引き寄せている。その道具を使って、最も偉大な自己、最も偉大なヴィジョンを創りあげるのだ。この創造と再創造のプロセスは終わることなく、多層的に進行する。すべては、さまざまなレベルで「たったいま」起こりつつある。
時間を直線的に考えるあなたは、経験を過去、現在、未来に分ける。自分がひとつの生を生きていると思っている。たくさんの生を生きたとしても、一度にひとつだと思っている。だが「時」がないとしたらどうなる?すべての「生」一度に生きていることになるではないか!そうなのだ。
いま起こっているすべてのことを認識したら、人生というすばらしいゲームは、むずかしくて続けられなくなる。この説明だって、充分にわかりはしないだろう。そもそも、わかったしまったら「ゲーム」は終わりだ!このプロセスは、完成の途上にあることが大事なのだ。
この段階ではプロセスを完全に認識できないということも、そのために必要なのだよ。だからプロセスを大切にして、最高に親切な創造者からの最高の贈り物として受け取りなさい。プロセスを慈しみ、安らかさと知恵と喜びを感じながら進みなさい。プロセスを活用しなさい。プロセスを我慢するのではなく、あらゆる時を通じて最もすばらしい創造を行う道具として使いなさい。あなたの聖なる自己を実現するために。
いまという時を浪費しないことだ。人生の神秘を解き明かそうとして、いまという現実をむだにしてはいけない。神秘が隠されているのには、理由がある。それが何かわからなくてもいいから、神を信頼しなさい。現在という時を、最高の目的のために。ほんとうの自分創造のために使いなさい。
自分とは何者か、何者になりたいのかを決め、全力をつくしてそうしなさい。時間についての話は、わかる範囲で理解して枠組みとして活用し、そのなかにあなたのいちばん壮大な構想を描けばいい。
「未来」について何か直観したら、それを大切にしなさい。「過去の生」について何かを感じたら、頭から無視するのではなく、自分にとって役に立つかどうか考えなさい。何よりも、自分の神性をいまここでもっとうまく創造し、表現し、経験する方法がわかったら、その方法に従いなさい。
(20230417)時間について
https://humanspace.exblog.jp/33210001
• 自分が神である自覚が強まった
人間は誰でも、神であるということ。
神が自分とはどうものであるかを知るために、自分を分割して、体験しようとしています。
これが「神との対話」で一貫して言われていることです。
このことがこの本に何度も出てくるので、やっとそうだと思えるようになりました。
一度わかったような気になっても、あまりにも深い根本的なことなので、なかなか自分のことと思えないのです。
それがやっと腑に落ちました。
これですべての時において、こう思えるようになります。
もちろん忘れてしまうことはあります。
覚醒していない今は、しょうがありません。
でも出来るだけ意識しておきます。
そうすれば自分に自信と誇りが持てます。
これがこの本で一番大事なことかもしれません。
具体的なやり方はいろいろあるのでしょうが、この根本的なことをわかっているかどうかで、実際にやってみるときの中身が違います。
このことを自分の中で、できるだけ濃くしていきます。
その濃さが成長のレベルです。
まだまだ薄いですが、これからです。
この生で出来るだけのことはやります。
それが具体的にも、いい人生を送れるのです。
だからわたしは、あなたがたが体験のなかで自分を新しく創造し、知る方法を編み出した。そのために、あなた方につぎのことを与えた。
①相対性ー他者との関係のなかであなたが存在しうるシステムだ。
②忘却ーこのプロセスで、あなたは完全な健忘症になる。そして、相対性は単なるトリックに過ぎず、あなたは全てであるということが、わからなくなる。
③意識ーこれは、完全な認識に達するまでの状態だ。完全な認識に達したとき、あなたは真実の生きた神になり、自分自身の現実を創造して経験し、その現実を拡大して探求し、自分の意識を新しい限界にまでーあるいは際限なくひろげつつ、現実を変化させ、再創造していく。
このパラダイムでは、意識こそすべてだ。意識ーあなたのほんとうの認識ーは、すべての真実の基本であり、したがって霊性すべての基本である。
でも、そんなことをして何の意味があるのですか?第一に、あなたはわたしが何者であるか忘れさせ、それから、何者であるかを思い出させるのですか。
意味はあるよ。いまの自分、そしてこうありたいと思う自分を創造できるようにするためだ。
それが神として存在する行為だ。わたしがーあなたを通じてーわたしとして存在する!
これが、人生すべての要だ。
あなたを通じて、わたしは自分が何者であるか、何であるかを体験する。あなたがいなくても、わたしは知ることができるが、しかし体験はできない。知っていることと体験することとは、まったくちがう。わたしはつねに体験を選ぶ。あなたを通じて、選んでいるのだ。
(202304020)自分が神である自覚が強まった
https://humanspace.exblog.jp/33216656
• どこまでスピリチャルを本気で思えるか
スピリチャルをどれだけ分かっているかの度合いです。
自分が永遠の魂で、死んでも創造しつつけるということが本気で思えるか。
その理解度によって、生き方が変わります。
多分ほとんどの人は本を読んだ時はそう思っていても、日常の生活に戻った時は、その意識は全くないと思います。
それで後はいつもどおりの日常です。
それではいくら本を読んでも全く変わりません。
私もそうでした。
それが「神との対話」を読んだら、すごく理解度が深まりました。
スピリチャルが自分のことと思えるようになりました。
この死後のことが本気で思えるか。
そう思えたら、死は怖くなくなるはずです。
そしてこの現生を精一杯生きようと思うはずです。
「神との対話3」でこう書かれています。
死んでも、創造をやめはしない。こう言えば、はっきりしたかな?
ええ。
よろしい。さて、死んでも創造をやめない理由は、死にはしないからだ。あなたがたは、生命そのものだ。生命が生命でなくなることはできない。したがって、死ぬことはない。 では、臨終のときに何が起きるか・・・生き続けるのだよ。
死ぬとこうなるようです。
「神との対話3」にはもっとそれを具体的に書かれていてわかりやすいです。
これももう死んでも慌てません。
あらゆる場所のあらゆるところに、いっぺんに存在する。どこかに視点を定めたいと考えると、たちまちそうなる。
魂は思考と同じスピードでどこにでも行けるのだということを学ぶ。
こうして魂は、どこへでも行きたいところに思考のスピードで行けるだけでなく、いっぺんに二つの場所にいられることも学ぶ。それどころか、三つの場所でも、五つの場所でも同じだ。 そこで、身体を離れ、自分の思考と創造のあいだに瞬間的で明確なつながりがあるのを知ると、仰天する。最初は衝撃を受けるが、やがてとても楽しくなる。自分は経験を創造する原因であって、結果ではないことを思い出すからね。
(20230501)どこまでスピリチャルを本気で思えるか
https://humanspace.exblog.jp/33238625
• 「今日も最高の一日ありがとうございます」は思考のコントロールをしている
「神との対話3」でもこう書かれています。
すべての出来事は思考が作り出すもので、それは意図した結果の表れということだ。
意図して思考を集中すれば、それが現実になるんですね。
そのとおり。唯一の違いは、結果を経験する速度だ。物質的な生命の世界では、思考と経験の間にずれがあるだろう。霊の領域では、そのずれがない。結果は即座に現れる。
物質的世界の魂が、霊的な魂と同じくらいすばやく効果的に思考をコントロールする方法を学べば、人生はがらりと変わるだろう。個々の現実の創造に関しては、思考のコントロール(ひとによっては、それを祈りと呼ぶ)がすべてなのだよ。
祈り、ですか?
至高のコントロールでは、最高のかたちの祈りだ。だから、良いこと、正しいことだけを考えなさい。否定的なことにこだわり、闇のなかにいてはいけない。たとえ、ものごとが荒涼に見えても、いや、そういうときこそ、完璧さだけを見つめ、偉大さだけを表現し、それから、つぎにはどんな完璧さの実現を選択しようかということだけを考えなさい。この公式におだやかさが見だされる。このプロセスに平和が見だされる。この認識に喜びが見だされる。
「今日も最高の一日ありがとうございます」は、朝晩には必ず言っていますが、思いついたら、一日中言っています。
特に気分のすぐれない時に言うと、そんな気になり気分が良くなってきます。
それだけでもいいくらいですが、実際ちょっとしたことですが、現実も最高と思えることもあります。
「今日も最高の一日ありがとうございます」が、まさに思考のコントロールです。
それをうまくやるいい方法だと思います。
個人的には、これが一番合っています。
(20230501)「今日も最高の一日ありがとうございます」は思考のコントロールをしている
https://humanspace.exblog.jp/33238632
• どうして死ぬと思ったことがすぐ実現するのか
「神との対話3」でこう書かれています。
身体から解放された魂は、すぐに注意深く思考を監視しコントロールすることを思い出す。何でも考えたとたん創造され、経験となるから。
もちろん魂が身体のなかに宿っているときも同じだ。ただ、結果がそれほどすぐに出ないだけだ。思考と創造のあいだにあるずれ(何日、何週間、何ヶ月、あるいは何年もかかるかもしれないが)、それが、ものごとは自分が起こすのではなく自分の身にふりかかるのだという幻想のもとだ。この幻想のために、自分自身がものごとの原因であることを忘れる。この忘却も、「システムの中に組みこまれて」いたプロセスの一部だ。ほんとうの自分を忘れなければ、ほんとうの自分を創造することはできない。だから幻想によって忘れるのには、ちゃんと目的があるのだ。
死ぬ前には、どうして思考と創造のあいだにずれがあるのですか。そして、死後だとずれがないのは、どうしてなんですか。
時間という幻想のなかで動いているからだ。身体を離れると、思考と創造のあいだにずれがなくなるのは、時間というパラメーターからも離れるからだよ。
言い換えると、何度もおっしゃったように、時間というものは存在しないってことですね。
(20230502)どうして死ぬと思ったことがすぐ実現するのか
https://humanspace.exblog.jp/33240422
• この世界には、なぜ時間はなぜあるのか
本当の世界は一度に全部見えてしまうため、全体は見えますが、中身が細かく見えません。
自分自身を細かく分解して、詳しく見るため、時間ができました。今の瞬間があるために、そこに意識を集中できるからです。
「神との対話3」でこう書かれています。
あなたがたが理解しているような時間は存在しない。「時間」という現象は、視点の問題なのだ。
どうして、身体のなかに宿っているときには、時間が存在するのですか?
現在という視点に入りこんで、その視点で見るからだ。その視点を道具として使うと、ひとつの出来事を分解し、徹底的に探究し、検討できる。 生命はひとつの出来事であり、宇宙でたったいま起こっている。すべては一度に起こっている。あらゆる場所で。「時間」はないが、「いま」はある。「場所」はないが、「ここ」はある。
いま、そしてここ、それが存在するすべてだ。
だが、あなたがたは「ここ」と「いま」のすばらしさを細かく経験することを選んだ。いまここで現実を創造するものとしての聖なる自己を経験しようとした。それができるのは二つ、経験の二つの分野しかない。「時間」と「場所」だ。この素晴らしい思いつきに、あなたがたは文字どおり爆発的な喜びを感じた!爆発的な喜びのなかで、あなたは自分の各部分あいだに「場所」を創造し、ある部分からある部分に移動するのにかかる「時間」を創り出した。
こうして、あなたはひとつひとつを眺めるために、自分自身をまさしくばらばらに分解した。幸せのあまり「ばらばらに」なったと言っていい。それ以来、あなたはばらばらになった自分を拾い集めているのだよ。
あなたが自分をばらばらにできた、つまり不可分のものを分解できたのは、時間という仕掛けのおかげだ。この仕掛けを使って自分を創造しつつ、もっと徹底的に見つめ、経験しようとしたのだ。
顕微鏡でモノを観察すると、それがほんとうは個体ではなく、数百万もの現象の複合体出ることがわかる。いっぺんにさまざまなことが起こり、それが大きな現象として現れていることがわかる。 あなたは、魂を観察する顕微鏡として「時間」を利用しているのだ。
(20230502)この世界には、なぜ時間はなぜあるのか
https://humanspace.exblog.jp/33240430
• 人間は、岩のなかで、猛スピードで飛び回っている粒子と同じようなもの
岩の中を猛スピードで飛び回っている粒子には時間がありますが、岩から見れば動かなく、時間もありません。
どちらも同じです。
ただ視点が違うだけです。
岩の例えでいうと、粒子である人間も、岩である神と言われる所以です。
全体を見ているか、部分を見ているかだけの違いです。
どちらもひとつのものです。
「神との対話3」でこう書かれています。
生命は一瞬一瞬の連なりであり、信じられないほど早い動きだ。この動きは、存在するすべての不動性にまったく影響を及ぼさない。岩の原子と同じで、その動きがあなたの目の前の静止状態を創っている。
この距離から見れば、ばらばらなものは何もない。ありえない。「存在するすべて」、あるのはそれだけでほかには何もない。わたしは、動かない動かし手だ。 「存在するすべて」を見るあなたの限られた視点からは、動かない「ひとつ」の存在ではなく、ばらばらな部分、つねに動きつづけるおびただしい存在が見える。どちらの視点も正しい。どちらの現実も「真実」だ。
では、説明させてください。
どうぞ。
大きな視点から見れば、ばらばらなものはない。「向こう側」から見れば、部分ではなく全体が見える。足ものとの岩のように、完全で完璧な全体として存在している。ところが、岩を意識したほんの一瞬にも、岩のなかではさまざまなことが起こっている。信じられないスピードで、岩の各部が動いている。その部分部分は何をしているのか?岩を岩としてつくりあげているんです。
岩を見ても、そのプロセスは見えない。理屈ではわかっていても、すべては「いま」目の前にある。岩は岩になりつつあるのではなくて、岩としてある。たったいま、目の前に岩がある。 だが、岩の中の分子よりもっと小さな粒子の意識になると、猛スピードで「ここ」から「あそこ」へと移動している自分を経験する。岩の外から「何もかも一瞬のうちの出来事だよ」と声をかけられれば、嘘だ、ほらを吹いちゃいけない、と思うでしょう。
ところが、遠くから見れば、岩の各部分がばらばらで、しかも猛スピードで走りまわっているなんて、これこそ嘘だと思う。遠くからは、近くでは見えないものが見える。つまり、すべては「ひとつ」で、すべての動きがじつは何も動かしていないことがわかる。
そうそう、そのとおり。よくわかったじゃないか。あなたが言うのは、生命とは視点の問題だということだ。あなたの言葉は正しい。この真実を見つめていけば、神の大きな現実もわかってくるだろうし、全宇宙の秘密の鍵も見つかるだろう。すべては同じだということだ。
宇宙は神の身体だったんですね。
(20230502)人間は、岩のなかで、猛スピードで飛び回っている粒子と同じようなもの
https://humanspace.exblog.jp/33240443
• 考えることと経験することが同じになる
視点=現実。
本当の世界では全てが今この瞬間にあるので、視点を変えるだけで、すぐ創造でき、すぐそこに行けます。
そこは時間も場所もないからです。
視点=思考=現実。
この物質世界では、その視点が思考になります。
ただこの物質世界では、現実化には時間のズレができるのでわかりにくいですが、思考が現実になるのが大原則です。
また、もっと大きなこともおっしゃった。大宇宙で魂は、思考と創造の直接的なつながり、考えることと経験との直接的なつながりに気づくと。
そう。大宇宙のレベルでは、岩と同時に岩のなかの動きが見える。原子の動きと原子が創造している岩のみかけとのあいだに、「時間のずれ」はない。原子が動いていても、岩は「存在する」。それどころか、動いているからこそ存在する。原因と結果が同時に起こっている。「同時に」動きがあり、岩が「ある」。「死」を迎えたとき、魂はそのことを悟る。要するに視点が変わるのだ。もっと多くが見えるし、理解できる。
死後には、理解に限界がなくなる。岩を見、同時に岩のなかを見られる。
だが、視点が思考を創り、思考がすべてを創るという真実さえ覚えていれば、それに、身体を離れる前にこの真実を思い出せば、あなたの人生はがらりと変わる。
思考をコントロールするには、視点を変えればいい。
そのとおり。視点を変えれば、考えが変わる。この方法を覚えれば、思考をコントロールできる。経験を創造するには、思考のコントロールこそすべてだ。これをつねに祈ることだと言うひともいる。
さっきもそうおっしゃいましたね。でも、祈りをそんなふうに考えたことがなかったな。
考えたらどうなるか、想像してみたらどうだ。思考をコントロールし、方向づけをすることが、最高のかたちの祈りだと思えば、良いこと、正しいことだけを考えるだろう。たとえ深い闇に包まれていても、否定的なことや闇にこだわらなくなる。ものごとが荒涼として見えるときでも、いや、そのときこそ、完璧さだけを見るようになる。
いつでも、話はそこへ戻りますね。
わたしは、道具を与えようとしている、この道具があれば、人生を変えられる。 過去に起こったこと、いま起こっていること、これから起こること、すべての出来事は、あなたの内なる思いや選択、思考、そして自分とは何者か、何者でありたいかという決断がかたちとして現れたものだ。だから、自分でいやだと思う人生を嘆くのはやめなさい。かわりにその人生を変え、そんな人生にしている条件を変えることを考えなさい。
(20230502)考えることと経験することが同じになる
https://humanspace.exblog.jp/33240461
• これから地球はどうなるのか
「神との対話3」でわかりやすく書かれています。
読めば誰でもわかります。
どちらを選ぶか、自分が決めるのです。
すべてだよ。すべては、すでに起こっている。あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。
どうしてそんなことが可能なのか、まだわからないんです。
わかりやすく話してあげよう。子供たちがCDーROMでゲームをやっているのを見たことがあるだろう?そのとき、子供たちのジョイスティックの動きひとつひとつにどう応じればいいのか、どうしてコンピュータにわかるんだろうと思ったことはないかな?
ありますね。不思議だと思いました。
すべてはCDーROMにある。コンピュータがあらゆる子供たちの動きにどう応じればいいのかを知っているのは、可能性のあるすべての動きとその適切な対応すべて、CDーROMに記憶されているからだ。
いやあ、奇妙ですね。シュールだなあ。
すべての結末、結末にいたるすべての紆余曲折が、すでにCDーROMにプログラムされていることがシュールなのかな?ちっとも「奇妙」なことではないよ。それが技術じゃないか。で、ゲームの技術に感心するなら、宇宙の技術を考えてごらん! 宇宙の車輪をCDーROMだと想像してみればいい。すべてのエンディングはすでに存在している。宇宙はただ、あなたが今度はどの動きをするか選択を待っている。あなたが勝つか、負けるか、引き分けてゲームが終了したら、宇宙は言うだろう。「もう一度、やりたいかい?」
CDーROMはあなたが勝とうが負けようが気にしないし、「感情を害し」たりしない。ただ、もう一度ゲームをするチャンスをくれるだけだ。すべてのエンディングはすでに存在する。あなたがどうエンディングを体験するかは、何を選択するかによって決まるのだよ。
地球の変化についても、まったく同じことだよ。多くの超能力者が語る地球の変化は真実だ。彼らは「未来」への窓を開いて見たのだ。問題は、彼らが見たのはどの「未来」かということだな。CDーROMのゲームの結末と同じで、いくつものヴァージョンがあるから。
あるヴァージョンでは、地球は天地異変が起きる。あるヴァージョンでは起こらない。じつは、すべてのヴァージョンはすでに起こっている。思い出してごらん、時はー。
知ってます。知ってますよ。「時というものは存在しない」ー。
そのとおり。すると、どうなる?
だから、すべのことはいっぺんに起こっている。
そうそう、そのとおり。かつて起こったことはすべて、いま起こっているし、将来起こることはすべて、いま起こっている。だから、超能力者が予言する滅亡は真実なのかと考えるのなら、関心をすべてそこに集中してごらん。そうすれば、そうすればその滅亡を自分に引き寄せる。べつの現実を体験したいと思うなら、そちらのほうへ関心を集中すれば、その結果が引き寄せられるだろう。
すると、地球に変化が起こるのかとどうかは教えてくれないのですね?
あなたがどうするのか、こっちが聞いているのだよ。あなたが、思考で、言葉で、行動で決定するんじゃないか。
そして私たちはどうすればいいのか書かれています。
これも読んでもらうしかありません。
こんなことは私では、とてもうまくまとめられません。
どうすれば、変えられますか?そんな大きなことがらに影響を及ぼすことができますか?超能力者や霊的な「権威」が予言する破局に対して、わたしたちは何をすればいいのですか。
内側にいっていきなさい。内なる知恵を探ってごらん。内なる知恵が何をしろと呼びかけているのか、聞いてごらん。そして、そのとおりに行動しなさい。
(中略)
いちばん大事なことは恐れないことだ。いずれにしても、あなたがたは「死ぬ」ことはないから、恐れるものは何もない。プロセスの展開を認識し、すべてはうまくいくとしっておだやかにしていること。すべてのものごとの完璧さにふれようと努めなさい。どこへ進もうとも、そこはほんとうの自分を創造するという体験にふさわしい場所なのだ、ということを覚えておきなさい。
これが平和への道だ。すべてのものごとに完璧性を見ること。
最後に、なにごとからも「のがれ」ようとしてはいけない。抵抗すると、相手はますます強くなる。 将来に、あるいは「予言」された将来に悲観するひとたちは、「完璧さのなか」にどどまれない。
ほかにもアドバイスしていただけますか?
祝いなさい!生命を祝いなさい!自己を祝いなさい!予言を祝いなさい!神を祝いなさい!祝いなさい!ゲームをしなさい。
瞬間瞬間が何かをもたらすように思えても、その瞬間に喜びを見いだしなさい。喜び、それがほんとうのあなたであり、いつまでもそうなのだから。
神は不完全なものを創造することはできない。神が不完全なものを創造できると思っているのなら、それは間違いだ。だから、祝いなさい。完璧さを祝いなさい。微笑み、祝い、ただ完璧さだけを見て、人が不完全だと言うものに不完全な形で触れないように、注意しなさい。
それじゃ、地球の地軸の変動をわたしが防ぐことができると、あるいは隕石の衝突や地震よる崩壊を、コンピュータの2000年問題のパニックと混乱を防ぐことができるとおっしゃるのですか。
そう言うことにマイナスの影響を受けることは防げるね。
わたしがおたずねしたのは、そういうことじゃないですよ。
だが、わたしが答えるのはそういうことだ。恐れずに将来に立ち向かいなさい。
「プロセス」を理解し、すべてに完璧さだけを見なさい。その平和、おだやかさ、静けさは、ひとが「マイナス」だという経験や結果をあなたから遠ざけてくれるだろう。
もし、あなたのおっしゃることがすべて間違っていたら、どうなるんですか?もし、あなたが「神」なんじゃなくて、わたしの豊かな想像力が過熱した挙句の産物だとしたら?
ああ、またその問題に戻るのか?もっと良い生き方が考えられるかね? わたしが言っているのは、全地球的な災厄が起こると言う恐ろしい予言に対しても、静かに安らかに、おだやかに落ち着いていなさい、そうすれば、最善の結果になるだろう、ということだよ。
考えてごらん。たとえ、わたしが「神」でなくても、ただの「あなた」であっても、もっと良いアドバイスはあると思うかい?
それは、ないでしょうね。
起きてくるすべてのことに完璧を見る。
これが生きていく上での基本です。
こんなこと神でないと言えません。
(20230514)これから地球はどうなるのか
https://humanspace.exblog.jp/33257113
• どっちになるのだろうね?
「神との対話3」からです。
本当に深いことが書かれています。
ここを読んで考え込んでしまいました。
今だいぶんスピリチャルの理屈がわかってきました。
そこでスピリチャルの理解度を試されています。
その理解が深まらない限り、いくら理屈がわかっても、現実に役に立ちません。
真実が分かったとしても、明日の行動まではなかなか変えられません。
理解度が高くないのです。
ただ方向性がわかるので、とんでもないところ行くことはなくなります。
覚醒レベルの理解度までは、この生ではとても行けそうもありません。
そうなると、聖書や経典、スピリチャルの本に書かれてあるような理想的な行動は取れません。
そうなると、この現生で四苦八苦するしかありません。
その覚悟が必要です。
そのつもりでいなくてはいけません。
ですから、うまくやれなくても嘆かないことです。
自分や他人に厳しくしないことです。
それが当たり前なのです。
うまくやれないことを考えるのではなくて、楽しいことを考えるようにします。
神は楽しめるようにこの世界を創ってくれています。
それでこのゲームを続けられるのです。
先は長いです。
覚醒することがいいのではありません。
現実を心から楽しめていたら、スピリチャルとして正しい道を歩んでいます。
この地球にはそんな人が大勢いいます。
それなら多くの人が出来ているのです。
やれば出来ます。
それでいいのです。
ともかく忘却の彼方の、もうちっぽけな自分に戻りたくはありません。
どこまでやれるかわかりませんが、やれることはやっていきます。
これからは正しい道を歩んでいきます。
しかし、お言葉を返すようですが・・・・誰かと一緒にいるとき、たとえば妻や子供たちといるとき、わたしと彼らは別人だと感じます。彼らは「わたし」じゃないと思うんですが。
意識とはすばらしいものだ。何千にも何百万にも、分割することができる。わたしは、無限の「かけら」に自分を分解した。それぞれの「かけら」が自分を振り返り、自分は何者であるかと考えられるように。
しかし、なぜ、わたしはこの忘却の期間、不信の期間を通らなくてはいけないんでしょうか?だって、まだ完全には信じられないんですよ!まだ、忘却のなかをうろうろしているんだ。
そう、自分に厳しくしないでいい。それもプロセスの一環だから。それでいいのだよ。
それでは、どうしていま、教えてくださるんですか?
それは、あなたが楽しめなくなっているからだ。人生がもう楽しみではなくなり始めているからだ。あなたは、プロセスに足をとられ、それがプロセスに過ぎないことを忘れかけている。
だから、あなたはわたしを呼んだ。きてくれと頼んだ。理解を助けてくれ、偉大な秘密を明かしてくれと求めた。あなたが自分に隠しつづけている、本当のあなたは何者かという真実を。
だから明かしたのだよ。これで、あなたはふたたび思い出した。それが意味をもつだろうか?あなたの明日の行動を変えるだろうか?
傷ついたものを癒し、不安におののくものをなだめ、貧しいものニーズを満たし、成就した者の素晴らしさを祝い、あらゆるところにわたしのヴィジョンを見るだろうか?いま、真実を思い出したところで、あなたの人生は変わるだろうか?
他の者の人生を変えてやれるだろうか?それとも、また忘却に戻るかな?身勝手におちいり、この目覚めの前に考えていたちっぽけな自分にふたたび戻って、そこにとどまるだろうか?どっちになるのだろうね?
(20230529)どっちになるのだろうね?
https://humanspace.exblog.jp/33277977
• ぎこちないけど、少し微笑めた
「神との対話3」にこう書かれています。
瞑想をやっていた時期もあります。
でも続きませんでした。
だいぶん前の個人セッションで、前世は僧で、山に持って散々瞑想をしていたらしいのです。
それで今世では、この世俗で何とかしようと生まれてきているようです。
ヒーラーの方に、そのほうが難しいと言われました。
今は瞑想はしていませんが、やってみたら少し微笑めました。
もっと前なら、全く微笑むことはできなっただろうと思います。
やってみようと思いませんでした。
今はそれが少しでもできます。
進化してきているようです。
このまま続けていきます。
瞑想とは「真の目覚め」の状態だ。
この状態で立ち止まるというのは、道のなかばで足を止めること、どこかに向かうのを止めること、何かをするのをやめること、立ち止まってその場に「いる」こと、ただその場で本来の自分でいることだ。
ほんの一瞬でも立ち止まることは、祝福に値する。まわりをゆっくり見まわせば、通り過ぎるだけではわからなかったことに気づく。雨上がりの深々とした土の匂い、愛する人の左耳にかかる巻き毛。遊ぶ子供たちを見る楽しさ。この状態を経験するのに、身体から離れる必要はない。これが、真の目覚めの状態だ。
この状態で歩いていれば、すべての花の香りを吸い、すべての鳥とともに羽ばたき、一歩ごとの足ものとの感触を実感できる。美と智恵を発見する。智恵は、美がかたちづくられるところにある。美は、すべての生命によってあらゆるところにかたちづくられている。探す必要はない。向こうからやって来る。
この状態で「行動」すれば、何をしてもそれが瞑想になり、あなたからあなたの魂への、そしてあなたの魂からすべてへの贈りものになり、捧げ物になる。皿を洗えば、手をひたす湯の温かさを楽しみ、湯と暖かさの両方に感動する。コンピュータを使っていれば、指の動きに応じて目の前のモニターに現れる文字を見て、思いどおりに動く心身の力にわくわくする。夕食のしたくをすれば、食べ物を与えてくれた宇宙の愛を感じ、お返しに自分の愛のありったけを食事にこめる。その食事がごちそうだろうと、質素だろうと、かまわない。缶詰のスープだって、愛によって美味になる。
この状態で性的なエネルギーの交換を経験すれば、ほんとうの自分の最高の真実を知る。恋人の心があなたのホームになる。恋人の身体はあなたのものになる。あなたの魂は、もう自分がほかから離れているとは想像しなくなる。
準備ができたとき、あなたははっきりと目覚める。微笑みがそこに連れていってくれる。シンプルな微笑みだ。一瞬、すべてを止めて、ただ微笑む。何に向かって微笑むのではない。ただ、良い気分だから微笑む。心が秘密を知っているから微笑む。魂が秘密を知っているから微笑む。そのために微笑む。たくさん微笑む。その微笑みが、どんな痛みも癒してくれる。
(20230531)ぎこちないけど、少し微笑めた
https://humanspace.exblog.jp/33280716
• このズボラストレッチもそう?
YouTubeで「ズボラストレッチ」というのをやっています。
それで体を伸ばしていると、よくあくびが出ます。
気持ちがいいから、あくびが出る感じです。
ずっとどうしてだろうと思っていました。
あくびも呼吸のようなものです。
リラックスできていて、この「神との対話」のようなことが起きているのでしょうか。
それなら素晴らしいことです。
分かりませんが、ちょっと謎が解けた気がしました。
ともかく気持ちがいいので、このまま続けます。
あなたは道具を教えてくれと言う。だから教えよう。呼吸しなさい。これも道具だ。長く、深く呼吸しなさい。ゆっくりと、おだやかに呼吸しなさい。生命という無を、満ちあふれるエネルギーを、満ちあふれる愛を静かに呼吸しなさい。そうすれば感じられる。深く、深く呼吸しなさい。そうすれば、泣きたくなるほど愛があふれ出す。うれしくて、泣きたくなる。神に出会うから。神があなたをあなたの魂に紹介してくれるから。 一度これを経験すれば、人生は一変する。ひとは「山の頂上に立った」り、最高のエクスタシーを感じた経験を語る。そういう経験をすれば、ひとはすっかり変わる。
(20230531)このズボラストレッチもそう?https://humanspace.exblog.jp/33280774/
• もう死んでもいい
もちろんそんなことはありませんが、こういうことがわかることをこの生でやりたかったのです。
それがわかりました。
私が今ここにいる存在理由です。
こんなに普遍的にわかったことはありませんでした。
もうこれ以上のことはないと思います。
まさに神でないとこんなことは言えないと思います。
そして端々に、ものすごい洞察があります。
例えば、「人生が創造されるのは、個々の瞬間だから」とか、「生命は、概念を経験に変える神の道具だ」とかです。
こんなこと誰が言えますか。
神でないと言えないと思います。
それがこの「神との対話3」に書かれています。
こんなことがわれば、この生では本望です。
あとはそれをどう現実の生活でやっていけるかです。
それがこれからやるべきことです。
まだまだとても死ねません。
私たちは出来の悪いただの神の僕ではありません。
「ここで言っておくが、あなたがたが神を創造しているのだよ。」
神を再創造するという、ちゃんとした聖なる仕事を常にをしているのです。
ほんとうに、わたしがすべての味方だからだ。
(中略)
それは、「あなたにとってのあなたの意思は、あなたにとってのわたしの意思だ」ということでもある。わたしはあなたがたすべてに自由意志を与えたと言っていい。
あなたがたは自分を決めるプロセスにいる。すべての行為が自己規範の行為だ。創造している自分を気にいっていて、自分のためになっていれば、そのまま続けるだろう。そうでないなら、中止する。それが進化というものだ。
(中略)
シアトルに行くなら、サンノゼに向かっても役に立たない。サンノゼに行くのが「倫理的に正しくない」のではない。ただ、役に立たないのだ。そこで、自分が何をしようとしているかが、最も重要な問題となる。人生全体にとってだけでなく、個々の瞬間でもそうだ。なぜなら、人生が創造されるのは、個々の瞬間だから。
妊娠中絶をしようとするとき、あるいはタバコを吸おうとするとき、動物の肉をフライにして食べようとするとき、道でひとの進路を遮ろうとするときー重要なことだろうと些細なことだろうと、大きな選択だろうと小さな選択だろうと、考えるべきことは一つだけだ。これはほんとうのわたしだろうか?いま、ほんとうにこういう自分を選択するのか?
そして、いいかね。何の結果にもつながらない無意味なことは何もないことを覚えておきなさい。すべてに結果がある。その結果とは、あなたが誰か、何者かということだ。たったいま、あなたは自己を規定する行為をしている。
それが、妊娠中絶への答えだ。それが戦争への答えだ。それが喫煙問題に対する答えであり、肉食に対する答えであり、人間の行為にまつわるすべての問題に対する答えだ。
すべての行為は自己を規定する行為である。
あなたが考え、言い、宣言するのはすべて、「これがわたしだ」ということだ。
あなたがたに言っておきたい。いとしい子供たちよ。自分は何者か、どんな自分になるかを選択するというのは、とても重要なことだ。あなたがたの経験の色合いを決定するばかりでなく、わたしの性質を創造することでもあるからだ。 あなたがたはいままでずっと、神があなたがたを創造したと聞かされてきた。だが、ここで言っておくが、あなたがたが神を創造しているのだよ。これを言うと、あなた方の理解は大きく組みかえられることになる。それも、あなたがたが果たしにやって来た真の仕事をするために、必要なのだ。
それが、わたしたちの、あなたがたとわたしの神聖な仕事だ。それがわたしたちの歩む聖なる地だ。
それが道だ。
(中略)
この問題では、あなたに選択肢はない。あなたが自由に選択できない唯一のことがらだ。それが道だからである。世界は、自分自身に対するあなたの考えに従うだろう。まず、あなた自身についてのあなたの考えがあり、そのあとに外の世界の物質的表現が続く。
考えることは、創造することである。あなたは創造し、創造したものになる。何になったかを表現する。表現ーそれがあなたの経験である。経験ーそれがあなたである。あなたは何者かーそれをあなたは考える。
こうして、円環は完成する。
あなたがついた聖なる仕事は始まったばかりだ。いまようやく、あなたは自分が何をしているか理解した。これを自分に知らせたのはあなたであり、大切だと考えさせたのもあなただ。
いまあなたは、ほんとうの自分をいままで考えたこともないほど大切だと思っている。いまようやく、全体像を見ている。
あなたは、わたしである。あなたは神を規定している。
わたしはあなたをー祝福されたわたしの一部をー物質的なかたちとして送り出し、概念として知っている自分を経験的に知ろうとした。生命は、概念を経験に変える神の道具だ。あなたにとっても同じことだ。あなたは経験する神なのだから。
わたしは一瞬ごとに、自分自身を選択して新たに再創造している。ほんとうの自分についていだく最も偉大なヴィジョンの最も壮大なヴァージョンを選択し、経験する。
わたしがあなたを創造したのは、あなたがわたしを再創造できるようにするためである。これがわたしたちの聖なる仕事である。これが私たちの最も偉大な喜びである。
これが私たちの存在理由である。
(20230623)もう死んでもいい
https://humanspace.exblog.jp/33313642
• 私たちは神になるためのナビを持っている
「神との対話3」より
一瞬一瞬に神は自らを表現している。それはあなたがたを通して行われている。あなたがたは、神がどう創造されるかつねに選択している。神は決してその選択を奪わないし、「間違った」選択をしたからと罰しもしない。また、あなたがたを指針なしに放り出しもしないし、今後も決してそんなことはない。あなたがたのなかに、わが家に戻るための指針のシステムが組み込まれている。そのシステムとは、つねに最高の選択肢を語りかける声であり、最も偉大なヴィジョンを教える声だ。あなたがたは、その声に耳を傾け、ヴィジョンを捨てずにいればいい。
これってまさに車のナビのことですよね。
ナビを見て走っていて、それでも道を間違うこともあります。
でもナビは怒りません。
冷静に次の修正ルートを教えてくれます。
そうしてモタモタしながらもなんとか目的地に着くことができます。
知らないところは、ナビがなかったら行けません。
前にスキーに行った時、遅くなって暗くなってしまいました。
おまけに雪も降ってきました。
右も左もわからない真っ暗な道でも、ナビがあったので、それを頼りに宿まで行くことができました。
これはまさにこの世と同じです。
真っ暗でどっちに行ったらいいのか、まるでわかりません。
でもナビがあれば、そこに向かえます。
どうも人間もそのナビを持っているようです。
それが神に向かう道を教えてくれます。
こんなありがたいことはありません。
でも車のナビと違うのは、その声がささやかなのです。
よーく注意していないと聞き逃してしまいます。
それで私も同じようなところをグルグル回っています。
でもいつのことかはわかりますが、最後には神に行き着きます。
それは間違いありません。
本当の世界では、誰もがもうひとつの神なっているのです。
それしかならないのです。
それ以外なりようがないのです。
ですから行けないのではないかと、気にやむことは一切ありません。
でも今、いつのことかわからないことを考えてもしょうがありません。
今、目の前の交差点をどっちに曲がるのか考えていればいいのです。
それが積み重なって、神に辿り着くのです。
ですから私たちは、その道中を楽しんでいけばいいのです。
旅はその目的地だけでなく、その道中が楽しいのです。
いい旅をしていきます。
(20230623)私たちは神になるためのナビを持っている
https://humanspace.exblog.jp/33313676
• この世に出来の悪い人はひとりもいない
「神との対話3」より
あなたは誰も、何も殺すことはできない。
そう。だが、「個別化したもの」に終止符を打つことはできますよ!それを、わたしたちの言葉では「殺す」と言うんです。
わたしの一部がそれぞれ個々に表現しているプロセスを、それ自身の合意なしには終わらせることはできないよ。
それはどういうことですか?何をおっしゃっているんですか?
神の意思に反することは何も起こらない、と言っている。
生命は、そして生命に関する出来事はすべて、神の意思(あなたの意思と読みかえてもいい)が現れたものだ。この対話で、あなたの意思はわたしの意思だと言った。「ひとつのわたしたち」があるだけだからだ。生命は神の意思が完璧に表現されたものだ。何かが神の意思に反しているとしたら、神の定義からして、それは起こりえない。ある魂がべつの魂について何かを決めることができると思うか?そんなことを考えるのは、お互いがべつべつだと思っているからだ。
神が好ましくないやり方で、生命に影響を及ぼせると思うか?そんなことを考えるのは、私から離れていると思っているからだ。
だが、どちらの考えも間違っている。宇宙が同意しないやり方で宇宙に影響を及ぼせると考えるのは、はかり知れない傲慢だ。
あなたがたがここで相手にしようとしているのは強い力だ。ところが、最高に強い力よりも自分のほうがさらに強いと思っている者がいる。しかし、それはありえない。しかし、最高に強い力よりも弱いわけではない。あなたがたは最高に強い力だ。それ以上でも、それ以下でもない。だから、その力と共にありなさい!
すると、当人の許可なしには誰も殺せないとおっしゃるんですか?最高のレベルでは、殺された者はみな、殺されることに同意していると、そうおっしゃるのですか?
あなたは地上の見方で見て、地上の考え方で考えている。話しても、ちんぷんかんぷんだろう。
「地上の考え方」で考えるほかないじゃありませんか。わたしはいまここに、地上にいるんです!
いいかな。あなたは「この世界にいるが、この世界のものではない」。
それじゃ、地上の現実はぜんぜん現実ではないんですか?
ほんとうに現実だと思うか?
わかりません。
「何か大きなことが起こっている」と感じたことはないかな?それを、いま説明しているのだよ。
(中略)
いいかね。そろそろ、新しい見方をするときだ。個人としても、社会としても生まれなおすときだ。自分たちの狂気で世界を破壊してしまう前に、世界を再創造しなければいけない。
よく聞きなさい。わたしたちがするすべてのことは、お互いが共同して行なっている。わたしたちは、共同して現実を創造している。あなたが妊娠中絶をするなら、私たちが中絶しているのだ。あなたの意思はわたしの意思だ。
神聖なるものの個々の側面は、他の側面に力を及ぼすことはできない。ある魂がべつの魂の意思に反して影響を及ぼすことは不可能だ。被害者はいないし、したがって加害者もいない。あなたがたの限られた視点からは理解できないだろう。だが、わたしはそうだと言う。
存在し、行為し、何かを所有する理由はただひとつしかない。自分が何者であるかを言明することだ。個人として、社会としてのあなたがたが自分が選び、希望するとおりの存在であるなら、何も変更しなくていい。ところが、この先にもっと大きな経験があると考えるならーもっと大きく神聖なるものを表現できると思うならーその真実に向かって進みなさい。
読んでもらえばわかりますが、この神の世界では、不完全なことは起こりません。
個人的にはひどいことをされたように感じても、大きな世界から見れば、そんなことないのです。
この世界では不完全なことは起こり得ないのです。
ですから、出来の悪い人などいないのです。
出来の悪いことは、できないのです。
常に完全なことしか起きて来ないのです。
でもそうは思えません。
とてもそんなことは思えません。
そう考えるのも当然です。
でもそれは今までの狭い世界の見方なのです。
ここで言われているように、そろそろ新しい見方をすべき時です。
それを生きていく時です。
この世界で普通に起こる感情に従うことや、今までの倫理観を手放す時です。
そういう基準を変える時です。
その基準では、この世界はよくなりません。
新しい本当の基準を持つのです。
その基準は、「それが本当の自分を表しているのか」です。
ただそれだけです。
何とシンプルなんでしょう。
その行為の、倫理観や損得、価値観などは考えなくていいのです。
これだけが、その行為が合っているかどうかの基準です。
その行為が自分の基準と合っていると思うなら、そのままでいいのです。
そうでないなら、変えていきます。
やることはただそれだけです。
これからはそれだけを考えてやっていきます。
新しい見方をしていきます。
この真実を知ってしまったら、もう古い世界観には戻れません。
間違っているとわかっているのに、どうしてそうやれるでしょうか。
もちろんわかっているつもりで、間違うことはあります。
覚醒していない今は、しょうがありません。
でも全力を尽くします。
それがこの生でやることです。
こんなわかりやすいことはありません。
(202306024)この世に出来の悪い人などひとりもいない
https://humanspace.exblog.jp/33314862
• 今やらずして、いつやる!
前から気になっていたことがありました。
NHKの科学番組を見ていると、遺伝子工学がかなり進んできています。
DNAを自由に切断して繋ぎ変えることで、今までにはできなかった新しい薬や治療法が開発されています。
とても素晴らしいことで、今まで治らなかった病気や怪我が治療できるようになってきています。
これまで苦しんできた人には朗報です。
これからもどんどんいろいろなことが出来てくるでしょう。
でもそれを見ていると、一抹の不安も起きてきます。
それは人間の生命に関わることまで、手をつけてきています。
これは大変なことになるかもしれないと思いました。
これをやっている人が良心的な人ばかりだといいのですが、そうでない人もいます。
核が戦争に使われたことを考えてみると、当然危惧されることです。
それが「神との対話3」でも書かれていました。
ここでは核や環境破壊は、生命科学からみれば、子供の遊びぐらいだと書かれています。
私もこれは恐ろしいことだとずっと思っていました。
このまま進んでいったら、もう取り返しがつかなくなってしまうかもしれません。
でもまだ今なら、後戻りする余地があるのです。
アメリカンフットボールのことを知らない人にはわからないかもしれませんが、まだ10ヤード残っているのです。
最後の攻撃のチャンスが残っています。
今こそ真のスピリチャルをやるときです。
「神との対話」に書かれてあるようなことです。
それが出来れば、まだ引き返せます。
でももうあまり時間はなさそうです。
今やらなくて、いつやるです。
私は今やります。
今やっています。
もういい加減にダラダラとやっている余裕はありません。
全面的にスピリチャルを信頼してやっていきます。
核兵器で自滅しなければ、環境破壊によって世界を滅亡させるだろうね。あなたがたは自分が住む生態系を切りくずしているのに、そんなことはしていないと言いつづけている。しかも、それだけではまだ足りないように、生命そのものの生化学をいじっている。クローンや遺伝子工学に手をそめ、そのさいに人類という種にとって恩恵になるように慎重に配慮するどころか、史上最大の破滅になりかねない危険を冒している。注意しないと、これにくらべれば核や環境破壊など子供の遊びでしかないという危険が生じるよ。
発達する医学で身体の機能を代替えしようとして、人類全体を滅ぼしかねないほどの耐性を持ったウィルスをつくり出してしまったではないか。
なんだか、怖くなってきました。もう、手遅れなんですか?ゲームは終わったんでしょうか?
いや。フォースダウンなのに10ヤード残っている。最後の攻撃チャンスだ。いちかばちかでパスを狙って、クォーターバックがノーマークのレシーバーを探している状態だ。あなたは、ノーマークだろうか?このパスを受け取れるか?わたしはクォーターバックで、前回、見渡した時は、あなたはわたしと同じ色のジャージーを着ていた。私たちは、まだ同じチームかな?
(中略)
これがほんとうの進化の革命だ。いまでは、意識的に質の高い経験を創造し、ほんとうの自分を直接的に表現し、こうありたいと思う自分を急速に実現する人がますます増えている。
だから、いまはきわめて重要な時期なのだ。決定的な瞬間なのだ。あなたがたは記録にある歴史の上ではじめて(人類史上はじめてというわけではないが)世界を破滅させるだけの技術とその利用法の両方を理解している。自滅することもほんとうに可能なのだよ。
(20230626)今やらずして、いつやる!
https://humanspace.exblog.jp/33317338
• 時間そして思うことが現実化する仕組み
「神との対話3」で驚くべきことを教えてくれました。
時間のこと。
思うことが現実化する仕組みです。
それをとてもうまく要約はできません。
長々と引用されてもらっています。
そうでないとここに書かれてある意味を取り違えてしまいます。
もう読んでもらうしかありません。
私はこれで、ノックアウトされました。
こんなことは誰が言えるでしょうか。
まさにそれは神しかないと思います。
この世界を創り、その仕組みがわかっている人です。
このことを知ることができて、とても嬉しいです。
そのためにここまでやって来ました。
これを理解するのに必要な段階を踏んできました。
今まで頑張って来てよかったと思います。
要約はできないのですが、ところどころ私が思ったことをカッコ書きで挿入しています。
合っているかどうかはわかりません。
ただ私はそうではないかと思っています。
それから、自分自身を出来事として観察しなさい。あなたがたは人間であり、存在だ。あなたがたはプロセスだ。それぞれの「瞬間」のプロセスの産物、それがあなたがただ。
(中略)
だが、あなたが観察するというのは、ほんとうは何だと思う?
質問の意味がよくわかりませんが。
では、答えを教えよう。あなたがたは、自分の過去を観察しているのだよ。
なんですって???
星を見上げるとき、その星は何百光年、何千光年、何百万光年も昔の星だ。いま見ている星は、現在ある星ではない。昔の星なんだよ。過去を見ているのだ。その過去に、あなたがたは参加していた。
(超高感度の望遠鏡があれば、過去の自分が行動しているところまで見ることができる)
ええっ、どういうことですか????
あなたがたはそこにいて、行動し、経験していた。
わたしが?
あなたは多くの生を生きてきたと言わなかったかな?
ええ、でも・・・・何光年も彼方に、私が旅行したらどうなるんですか?ほんとうに、行けるようになったら?「たったいま」、地球上では何百光年も先にならなければ見えない場所に行けたら?そこに見えるのは何なんですか?二人の「わたし」ですか?いっぺんに二つの場所にいる自分が見えるっておっしゃるんですか?
(光よりも早く飛んでいけたら、いっぺんに二つの場所にいる自分が見えるのだろう)
もちろんだよ。そのとき、わたしが言ってきたことがわかるだろうな。時は存在せず、あなたは「過去」を見ているのではない、ということが!すべては、いま、起こっている。あなたは、地球時間で「たったいま」生きている。それはあなたの未来でもある。多くの「自己」のあいだに距離があるから、それぞれのアイデンティティを、「時間の瞬間」に経験することができるのだ。だから、あなたが思い出す「過去」、見る「未来」は、存在する「いま」にすぎない。
他のレベルでも同じだよ。それも前に言ったね。ただひとつのわたしたちしか存在しない。だから、見上げる星は「わたしたちの過去」なのだ。
ついていけなくなりましたよ!
がんばりなさい。もうひとつ、言っておきたいことがある。 あなたがたはつねに過去を見ている。たったいま、目の前を見ている時も同じだ。
え?
現在を見ることは不可能だ。現在は「起こり」、それからエネルギーが放射して光の爆発となり、その光があなたの受容器である目に届く。光が届くまでに時間がかかる。光があなたに届くあいだも、生命は進行し、前進する。前の出来事の光があなたに届くころには、つぎの出来事が起こっている。
爆発したエネルギーがあなたの目に届くと、目という受容器は脳に信号を送り、脳がデータにてらしあわせて、何を見ているのかを教える。だが、それは、目の前にあるものではない。あなたが見ていると思っているものにすぎない。あなたが見たと思うものについて考え、判断し、何と呼ぶか決めているあいだに、「いま」起こっていることはプロセスの先に進んで、待っている。簡単に言えば、わたしはつねにあなたの一歩先にいる。
すごい(My God) 信じられないな。
(その現実が起きた方向にずっと意識を向けていれば、いずれその光が届く=現実化する。なかなか実現しないものは遠くにある。思えばもうそれは存在しているから、その方向を見るのをやめなければ、時間がかかってもいずれ必ず実現する。)
いいから聞きなさい。あなた自身と出来事が起こる物質的な場所が遠くなれば遠くなるほど、出来事は「過去」へと遠ざかる。数光年も離れれば、非常に遠い昔に起こったことを見ていることになる。だが、それは「昔」に起こっているのではない。単に物質的な距離が「時間」という幻想を創り出し、「いま、ここ」のあなたと、「いつか、あそこ」にいるあなたの体験を両立させているにすぎない!
いつの日か、時間と空間は同じものであることがあなたにもわかるだろう。そのとき、すべてはたったいま、ここで起こっていることに気づくだろう。
(こういうことがそのとおりだと思える。スピリチャルは絶対にある!と思える)
それはーうーんーワイルドだなあ。何というか、どう考えていいのか、わかりませんよ。
いま言ったことが理解できれば、見ているものはみな現実でないことがわかるだろう。あなたは過去の出来事のイメージを見ているのだが、そのイメージ、つまり爆発するエネルギーもあなたの解釈にすぎない。このイメージに対する個人的な解釈が想像(imagination)と呼ばれる。あなたは、その想像を使ってすべてを創り出す。なぜならーこれが最大の秘密なのだがーあなたの想像は双方向に働くからだ。
と言いますと?
あなたはエネルギーを解釈するだけでなく、創造する。想像とは精神の機能であり、精神はあなたの三つの部分の一つだ。精神が何かを想像すると、それは物質的なかたちをとりはじめる。長く想像すればするほど(多くの人びとが想像すればするほど)、さらに確固とした物質的なかたちとなり、あなたが与えたエネルギーが、やがて文字どおり光となって爆発して、イメージを現実と呼ばれるものに変える。そこで、あなたがたはそのイメージを「見て」、それが何であるかを決める。こうしてサイクルが続く。これが、プロセスだ。
これがあなたである。あなたはこのプロセスだ。
これが神である。神はこのプロセスだ。
これが、あなたは創造者であり、被造物であるという言葉の意味だ。
これで、すべてをまとめて見せてあげた。この対話は終わることにしよう。私は宇宙のメカニズム、すべての生命の秘密を説明したのだよ。
(起きてくることを、いいように解釈していれば、いい現実が次に自然と起きてくる。どんな時にも完全性を見なさいというのは、こういうことだったのだ)
わたしは・・・・呆然としていますよ。何というか・・・・びっくり仰天してしまいました。あとは、毎日の人生に適用したと思います。
毎日、適用しているよ。そうせずにはいられないのだ。それが事実だから。問題は意識的に適用するか、無意識に適用するか、それだけだ。自分がプロセスの結果になるのか、原因になるのか。すべてにおいて、原因になりなさい(be cause)。 子供達は、このことをよく知っている。「どうしてそんなことをするの?と聞いてごらん。「だって、そうなんだもの(just because)」と答えるだろう。何かをする理由は、それしかない。
驚きました。驚くべき対話の驚くべき流れ、結末ですね。
新しく理解したことを意識的に適用するいちばんいい方法は、自分の経験の結果ではなく、原因になることだ。そして、ほんとうの自分、選んだ自分を経験するにあたって、個人的な場、個人的な経験のなかで対立要素を創り出す必要がないことを忘れずにいなさい。
この知識を武器にすれば、人生を変えられるし、世界を変えられるよ。
この真実をあなたがたすべてと分かち合うために、わたしはやってきたのだ。
そうか!そうなのか!わかりました!わかりましたよ!
(自分のなりたいように思えばいいだけだということ)
(時間の問題、思えば現実化するという仕組みが何となくわかった気がする)
(20230628)時間そして思うことが現実化する仕組み
https://humanspace.exblog.jp/33320364
• 最後にはここに行き着く
何かになろうとしなくていい。
そのつもりで行えばいいだけ。
今のありのままでいい。
そう思ってやれば、そういう行為をやれます。
思っていることを現実化する仕組みからも言えることです。
単純な仕組みです。
なろうとしてもなれない。
そのつもりでやればいいだけ。
最後にはここに行き着きました。
わたしは神である。
そのつもりで行動します。
それをこれからやっていきます。
これからは進化するために、スピリチャルをやることはありません。
ただ自分がしたいからするだけです。
ただ知りたいからするだけです。
よかった。この対話を通じて、三つの基本的な知恵があった。それは
①わたしたちはすべて一体である。
②充分である。
③しなければならないことは、何もない。
「わたしたちはすべて一体である」と決めたら、お互いに対する姿勢が変わるだろう。
「充分である」と決めたら、すべてをみんなと分け合うだろう。
「しなければならないことは、何もない」と決めたら、「行為」によって問題を解決するのではなく、「問題」が消えてしまうような存在になるだろう。そうすれば、問題を起こす条件は消える。
あなたの進化論の過程では、これがいちばん大切な真実かもしれない。これを対話の締めくくりにしよう。いつもこのことを忘れず、マントラのように唱えるといい。
しなければならないことは、何もない。しなければならないことは、何もない。しなければならないことは、何もない。ただ、ありのままのわたしでいればいい。
だからと言って、あなたの人生から「行為」がなくなるわけではないよ。そうではなく、あなたが経験する行為はあなたの存在から生じるのであって、行為があなたを存在に導くのではないということだ。
あなたが最初に「幸福」であれば、幸福だから何かをすることになる。幸福になりたいから何かをするという古いパラダイムとは逆だ。
あなたが最初に「智慧」であれば、賢いから何かをする。智慧を獲得しようと何かをするのではない。
あなたが最初に「愛」であれば、愛だから何かをするのであって、愛を得たいから何かをするのではない。
あなたが「存在」しようと求めるのではなく、最初に「存在」であれば、すべては変化する。すべては逆転する。「行為」によって、「存在」に行き着くことはできない。幸福に、賢明に、愛になりたくてもーあるいはー神になりたくてもー行為によって「そこに行き着く」ことはできない。だが、「そこに行き着けば」すばらしい行為をする、それは真実だ。
ここに聖ないる二分法がある。「そこに行き着く」道は「そこにいる」ことだ。いきたい場所にいなさい!簡単なことだ。しなければいけないことは、何もない。
幸福になりたいか?では、幸福でいなさい。賢明になりたいか?では賢明でいなさい。愛が欲しいか?では愛になりなさい。いとしい者たちよ。
(20230628)最後にはここに行き着く
https://humanspace.exblog.jp/33320384
• わたしたちはふたたび、ひとつになった
「神との対話」を読み終えると、思わず手を合わせました。
わたしも著者のように思えました。
ありがとうございました。
あなたがそう見えているなら、それを創造するだろう。あなたがたは一度見失ったが、また見出した。あなたは一度、視力を失ったが、また見えるようになった。これは驚異的な恩寵だ。
あなたの心はときにわたしから離れたが、わたしたちはふたたびひとつになったし、永遠にひとつでいるだろう。あなたが結びあわせたものは、あなた以外にだれも離すことはできないから。
真実は神の身体であり、喜びは血液であり、神は愛だ。
ー真実
ー喜び
ー愛
この三つは互いに入れ替えることができる。ひとつがべつのものにつながる。順序はどうでもいい。すべてはわたしにつながる。
さあ、行って、あなたがたの世界を変えなさい。行って、最高の自分自身になりなさい。知る必要のあることは、すべて知った。
いま、あなたはならねばならぬ存在になっている。
いままでも、そうだった。ただ、それを知らなかっただけだ。思い出さなかっただけだ。いま、あなたは思い出している。どこへ行くにも、その記憶を忘れないように。そして人生でふれあうすべてのひとに分かち合いなさい。あなたの運命は、あなたが想像しているよりも大きいのだから。
あなたはこの部屋を癒すためにやって来た。宇宙を癒すためにやって来た。ほかに、ここにいる理由はない。
それから、このことを覚えておきなさい。わたしはあなたを愛している。わたしの愛はつねにあなたのものである。いつも。そして永遠に。
わたしはいつも(always)あなたのもとにいる。
あらゆる道で(all ways)。
神よ、さようなら。対話をありがとうございました。感謝します。ありがとう。ほんとうにありがとう。
こちらこそ、わたしのすばらしい創造であるあなたに感謝する。あなたは神にふたたび声を与えてくれた。あなたの心に場所を与えてくれた。
わたしたちがほんとうに望むのは、それだけだ。
わたしたちはふたたび、ひとつになった。
良きかな。
(20230628)わたしたちはふたたび、ひとつになった